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黄檗宗 大本山 萬福寺
由緒
中国福建省福州府の黄檗山萬福寺の住持であった隠元禅師がわが国に渡来したのは承応3年(1654)である万治2年(1659)4代将軍家綱公よりこの地を賜わり寛文元年(1661)新しい寺の建立を始め 元を忘れないために黄檗山萬福寺と命名した。爾来黄檗宗の本山として黄檗禅挙の揚の源をなっている。歴代住持の内16人が中国僧であるのみならず山内至る処中国職であるのみならず山内到る處中国職濃厚な事を特色としている。
重文 総門
黄檗宗大本山萬福寺
1661(寛文元年)中国僧隠元隆琦禅師開創、境内4万1千余坪の禅宗大寺院 国内でも数少ない7堂伽藍が左右対称に居並び 老松とともに中国情緒を醸し出す。
主要伽藍23棟の堂宇は明朝建築様式を誇り、その回廊にいたるまで国の指定する重要文化財である。また、総門の扁額、第5代高泉書の「第1義」は禅の本髄を如実に顕し正統な法脈を受け継がれていることを証しており扁額40面聯額44対とともに重要文化財である。
山門を出れば日本ぞ 茶摘うた
七十三齢 菊舎
一字庵田上菊舎は、宝暦三年(1753)10月14日、現山口県下関市豊北町田耕に生まれた。16歳で近くの村田家に嫁いだものの、24歳のとき夫と死別。子供がいなかったため、実家に復籍。俳諧の道をこころざし、芭蕉を慕い、尼僧となって諸国行脚に明け暮れ一世を風靡した美濃派の俳人である。
菊舎が萬福寺に初めて詣でたのは、寛政2年(1790)3月、38歳のときで、
見聞に耳目をおどろかしつゝ、黄檗山のうちを拝しめぐり、誠に唐土の心地し侍れば
山門を出れば日本ぞ茶摘うた
と詠んでいる。
黄檗山のたたずまいに酔いしれた菊舎が、三門を出た時、門前の茶畑から茶摘うたが聞こえ、一瞬我に返った時の句である。
菊舎は、文政9年(1826)8月23日、同市長府にて死去。享年74歳。
都七福神まいり
菩提樹 宇治市名木百選
正面は弥勒菩薩釈迦滅後56億7千万年の後
この世に現れ釈迦の救済にもれた一切衆生を救うという使命をおびて待機している菩薩で
す布袋和尚は弥勒菩薩の化身であると申します 両側には護国安民の守護神である四天王自国増長廣目多聞(毘沙門)を祀り菩薩の背後には范道生の作による韋駄天を配す表の額と聯は
二代目木庵禅師箪 裏の額と聯は即非禅師と六代千呆禅師筆で共に重要文化財。
即非禅師は木庵と共に隠元禅師の高弟で世に隠木即と称せられています。
大雄寶殿(重要文化財)
本堂です 中央は釈迦牟尼仏 向かって右が迦葉尊者 左は阿難尊者 両側は18羅漢ともに明朝時代の彫刻家 范道生の作です
用材はすべてチーク(鐵梨木)が使用されており表の蛇腹の天井桃戸など中国式の特異なものです。朝暮の勤行は明音を用い現在中国で行われているのと殆ど同じです。
「大雄寶殿」の額、開山隠元禅師箪
「萬徳尊」 二代目木庵禅師筆
堂内の聯 開山 木庵・悦山 各禅師筆
堂外の聯 即非禅師及び 高泉禅師筆
以上全部 重要文化財
「真空の額」 明治天皇 御宸筆
齋堂(重要文化財
食堂です中央には緊那羅王菩薩が祀ってあり約300人が一堂に合して食事することができます。
表の額と聯は木庵禅師筆で共に重要文化財です。魚梛(魚板)は木魚の原型になったもので儀式や行事の時刻を報じる時に打たれ当山の時計に当たるものです。雲水が棒で打つと山内の隅々まで響き渡る音が出ます。堂前の生飯台は食前に一箸の飯を餓鬼や鬼子母神などに施しをする台です。
雲版
雲の形をした法貝で、主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴り物です。雲は雨を降らせることから恵みの象徴であるとともに、火事や災害を防ぐ意味もあると言われています。
これは 顔出し
東方丈(重要文化財)
法堂(重要文化財)
中央の高い所を須弥壇といい住職がこの壇上に登って説法し衆僧は問答(南堂)によって所信をみがくところ。お授式もここでおこなわれます。獅子の額は当山開山の師匠三山 隠禅師筆。
法堂の額は開山隠元禅師筆
毘尼担の額は4代独湛禅師筆
内の聯は2代木庵3代慧林両禅師の筆
外の聯は6代千呆禅師の筆で全部重要文化財です
堂前の勾欄は卍くずしの特徴をあらわしています
禅堂(重要文化財)
座禅するところ齋堂 浴場と共に三黙道場といわれています。
中央の観世音菩薩像は開山禅師が母からの手紙を張り込めておつくらせになったと伝えられています。両側の高い所を単といい座禅も起き伏しもこの畳一畳で修行します。
「選佛場」の額は開山禅師筆、聯は木庵禅師筆、内部の聯は開山禅師及び6代千呆禅師筆共に重要文化財
表中央にかけてある牌は表上静裏放参とあります。
祖師堂(重要文化財)
中央に達磨大師像、左右に当山歴代住職の位牌、達磨大師は釈尊から28代目中国に渡って禅を伝え禅宗の初祖となる柱聯額は2代木庵禅師筆で重要文化財です。
鼓楼(重要文化財)
階上に大きな太鼓があります。儀式の時には向かい側の梵鐘とこの太鼓を交互に打ち鳴らします。一趣荘厳な雰囲気が境内一円にみなぎります。
石碑亭
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