常徳寺
当寺は明応2年(1493)に知足山とし改号され、寛永5年(1628)日奥(にちおう)上人が金工後藤氏の帰依を得て中興した日蓮宗妙顕寺派の寺で、当時、妙覚寺住職だった日奥は、京都のすべての寺に法要を求めるなど弾圧を強めた豊臣秀吉に反発。寺を追われて常徳寺に身を寄せた。信者以外に施しを受けない「不受不施」の主義を貫き、それがもとで弾圧にあったという。日奥は不受不施派の派祖であり、教えは今も息づいている。本堂には常盤御前が牛若丸の安産を祈願したとつたえる木像・常盤地蔵を安置し、寺の再興には刀装金具の彫刻を職業とする後藤家が財政支援をし、特に後藤演乗が日奥の教えにより真言宗から改宗、寺の基礎が整った。境内墓地には後藤演乗(七代)以下、近世の後藤氏一族の墓があり、また寺宝に後藤長乗夫妻像(江戸時代)を有する。「知足山」と号するのは、船岡山の東南麓にあった知足院の名を継いだからである。知足院は平安前期に創建された天台宗園城寺(三井寺)の別院で、本尊不動明王は世に「知足院不動」として崇敬を得た。関白藤原忠実は知足院関白といわれ、保元の乱後、当院に住み、応保2年(1162)ここで没した。藤原家と関係の深い大寺であったが、中世の兵火に衰退した。
本堂に安置する常盤地蔵と称する地蔵菩薩立像(藤原時代)は、知足院の旧仏といわれ、他に知足院関係の古文書がある。
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