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専定寺   (烏寺)

2015年09月08日 01時15分03秒 | 神社

 

 

専定寺(烏寺)

熊谷山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。

寺伝によると、昔専定法師という旅僧がこの辺りの松の木陰で休んでいると、二羽の烏が梢に止まり、

「今日は、蓮生坊(熊谷直実)の極楽往生の日である。我々もお見送りしようではないか」と語り合い、

南の空へ飛び立った。法師が不思議に思って蓮生坊の庵を訪ねたところ、

烏が話していた同日(承元2年(1208)9月14日)同刻に亡くなっていた。

このことから、ここを有縁の霊域と感じた法師が草庵を結んだのが当寺の起こりといわれている。

かつては、この故事を伝えるため、境内の松の梢に土焼の烏が置かれており、

大仏七不思議(方広寺周辺に伝わる七不思議)の1つに数えられていた。

本堂に安置されている本尊・阿弥陀如来坐像は、後白河法皇の念持仏と伝えられ、

金箔による像内化粧が施されているなど貴重なもので、京都市の有形文化財に指定されている

  京都市 駒札

 

他に「獅子地蔵」とよばれ、獅子と化して川に溺れた人を助けたという地蔵像を安置する。

三条寺町に伏見屋左近という人がいて、常にこの地蔵尊を信仰し、花を供えるのを日課にしていた。

あるとき、江戸に急用ができ、大井川まで来たが、増水して川止めになっていた。

日限のある用事のことで待ちきれず、思い切って急流へ飛び込んだが、たちまち1町ほど押し流され、

溺れかけたところ、1頭の獅子が現れ左近を背に乗せて向こう岸へ送ってくれた。

よろこんであとを振り返ったが、その姿はすでになかった。その後、夢の中に一人の僧が現れ

「われは大仏烏寺の地蔵である。汝は日頃供花供養を怠らないその因縁により、

獅子となって汝の危急の難を救いとらせたのだ」といわれた。

驚いて夢からさめてみると、枕元に三寸ばかりの地蔵尊があったので、帰洛してから烏寺に行き、

住職にそれを見せたところ「これは胎内仏にちがいない」と驚き、

報恩のために一宇の地蔵堂を建てたという。これより、獅子地蔵と呼ばれるようになった

 

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