呉服商 「冨田屋」
江戸時代、伏見で代々両替商を営んでいたが、幕末の「鳥羽伏見の戦い」で戦火にあい、西陣に移り西陣産地問屋「冨田屋」を作り上げました。そして明治18年に、十代目田中藤兵衛が現商家を建築しました。店舗と奥の住居からなる京の町家建築様式で、特に「表屋造り」と呼ばれる明治期の典型的な呉服問屋の大店の町屋です。1999年には文化庁より国の登録有形文化財、並びに2007年には京都市の重要景観建造物の指定を受けています。華美な装飾は避け、材料を吟味した建築で、当主自ら大工の棟梁と共に山中に分け入り選んだ木材を使用しております。部屋の内部だけでなく庭の隅々にまで当主の細かい心遣いが行き届いた、昔からのしきたりが残された町屋です。
昔の 電話番号 特電 七六 番 だろうか
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