名和長年 今から、700年くらい前のことです
名和長年(なわながとし)
生年不詳~1336年
伯耆国名和(現在の鳥取県大山町)を拠点に海運業を行う豪族であったが、鎌倉幕府倒幕を計画して隠岐に配流されていた後醍醐天皇が島を脱出し、名和湊に上陸して以来、天皇の忠臣となった。船上山(同県琴浦町)において幕府討伐を図る後醍醐天皇を迎えて挙兵、幕府軍に勝利し、戦功をあげた長年は伯耆守に任ぜられ、帆かけ舟の家紋を与えられた。戦では、弓の名手だったと伝えられている。その後、建武の新政下において要職を担ったが、建武3年、武家政治の再興を呼びかけて挙兵した足利尊氏と戦い、当公園の地で討死を遂げたと伝えられている。
平成28年6月22日 説明追加
半分 公園になっています 鳥居は昭和10年建立、左の標中は昭和14年建立
これは、昭和11年建立 此付近名和長年戦死之
建立年月 不明
こちらは 昭和14年に建立されたもの
帆掛け船の家紋
ケヤキ
井戸があったのでしょうか
奉納 全日本国防婦人会
紀元2600年 竣工記念 と書かれています
これは明治19年1月に建立された 顕彰碑 手前の石柱は 昭和10年建立
御大禮記念樹 昭和か大正か
各柱には 数々の名が刻まれています
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