国指定史跡 久津川車塚古墳
久津川車塚古墳は南北に主軸をもつ前方後円墳で、3段に築かれた墳丘の長さは約180mあります。
周囲には盾形の周濠が二重にめぐらされており、周濠を含めた全長は272mあり、最大幅は約209mあります。
久津川車塚古墳は、大谷川により形成された扇状地のほぼ中央に築造されています。
久津川車塚古墳、梶塚古墳、芭蕉塚古墳、青塚古墳、箱塚古墳、指月塚古墳、丸塚古墳がそれにあたります。
現在は、国指定史跡の久津川車塚古墳と丸塚古墳、城陽市指定文化財の芭蕉塚古墳の他に、
青塚古墳の一部が現存しています。
宇治市南部から城陽市北半部にかけての丘陵上や平地には、多くの古墳が築造されており、
これらの古墳を総称して久津川古墳群と呼んでいます。
久津川古墳群は、広い範囲に古墳時代前期から後期にかけて築造された多くの古墳があり、
京都府内最大の古墳群と言えます。
久津川古墳群は、宇治市南部の広野地域、
大谷川扇状地を中心とした平川地域、
城陽市の中央部にあたる富野地域の3グループに分けることができます。
特に、三基の大形前方後円墳(久津川車塚古墳、芭蕉塚古墳)が所在する平川地域は、
久津川古墳群の中心となっています。
この場所は車塚古墳の東外堀の跡である。
車塚古墳は、墳丘の長さ180mの南向きの前方後円墳である。
周囲には二重の堀がめぐり、外堀を含む全長は272mに達し中期の古墳では南山城最大である。
3段に築かれた墳丘の平坦部や外堤には埴輪が立てられていた。
今は、墳丘下段と二重の掘りは埋まっている。
明治27年(1897)、後円部から長持形石棺と両端に付いた簡単な竪穴式石室が掘り出された。
副葬品に武具・武器が多いので軍事に携わった人物が葬られていると思われる。
石棺は大王陵の石棺に多い兵庫県加古川産の竜山石が使われている。
時期は古墳の形や副葬品から5世紀中頃と考えられる。
東方130mにある丸塚と共に国の史跡に指定されている。
石棺出土状態 この石棺 京都大学総合博物館で実物が展示されています。重要文化財
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