ここは、平安末期、近衛天皇が、しばしば皇居とされた藤原忠通(摂政)の屋敷跡
で四条内裏または四条東洞院内裡ともいった。
この邸内にあった鎮守の社が神明神社である。
当社の宝物に「やじり」が2本伝わっている。
近衛帝の時、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪獣が夜毎空に現れ都を騒がせた。
これを退治せよとの命を受けた源三位頼政は、
神明社に祈願を込め、見事怪獣を退治したその御礼に奉納した弓箭(や)である。
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当社が厄除け・火除けの神と云われゆえんである。
昔、榎の大木があったので、榎神明ともいう。
当社には、豊園小学校内に祀られていた文子天満宮の祭神が戦後合祀された。
文子さんは北野天満宮創建の功労者である。
小学校に祀られてあったころから区民の信仰が熱い。
社号標は 大正4年4月(大正御大典と同じ年)
本殿
鵺
矢じり
矢じりの拡大
奉納額
末社
右から 日本武尊、春日大社、伏見稲荷大社、石清水八幡宮、北野天満宮
手水舎
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