ちから石 文政8年4月(1825年)
深泥池 貴舩神社の由来
深泥池の旧鞍馬街道には保元2年(1157)に、京の六地蔵の1つ、御菩薩池(みどろいけ)地蔵(現鞍馬口地蔵)が祀られ室町時代には関所が置かれていた。
当神社の御祭神は高龗神(たかおかみかみ)と申し上げ、雨水を司る龍神で古くから鞍馬山麓の貴船に鎮座せられる貴船神社の分社として、深泥池の農民によって、勧請したものである。
貴布禰総本宮貴船神社は平安遷都より、皇居の御用水と人々の生活用水や農業用水である賀茂川の水源にあたる所から川上神(弥都波能売神(みずはのめのかみ))と水を司る高龗神が御祭神として朝野の尊崇が篤く、洛中からの参詣が絶えなかった。しかし、本宮への参詣に遠くて大変だったので、寛文年間(1660~70)の10月23日に、御分霊が行われ、街道筋の当地に鎮座され、農耕をはじめ、住民の安寧、徐災招福の守護神として信仰され、今日に至っている。例祭は10月23日。
生誕地 池大雅 ゆかり之地
南宋画を大成した池大雅(1723~1776)は、深泥池の畔で生まれ、それを忘れまいとして池という姓を名乗ったとされる説が有力である。また、妻の玉蘭は、祇園三才女の一人とされ、時代祭にも登場していることでも知られている。
本記念碑は、地域の誇りとして氏の多大なる功績を讃えると共に深い敬意を表するために建立するものである。
すぐきの神様 秋葉神社の縁起
昔みぞろが池は、七つ森七軒村と云われ一番森を消し山と称し、火伏の秋葉神社が1200年前から祭られていました。所が此の神社が神仏混交である事を因として、明治の廃仏毀釈の令により、賀茂社の社家が社を打ち壊しました。
翌年の3月春、修復を怠った村に大火が発生し家財農具も一切が焼失しました。失意の村人達が焼け跡を整理していると、どの家の跡にも漬け物桶だけが焼けながら中身が焼け残っていました。疲労と空腹に耐えていた人々が其の漬け物を開けると、「あっ火が入っている、いい匂いがする」と村の長が漬け物の茎を一本試食しました所「酸い茎や」と云いました。
これが「すぐき」発祥の歴史であります。火の神である秋葉神社の神様が私共に罰を与えると共に反省を求め、生命の根源である酵素の漬け物を恵み賜わったのであります。
秋葉神社再建 柴垣光男 記
忠魂碑
関連記事 ⇒ 池大雅
神社 前回の記事 ⇒ 神社八幡0223 石清水八幡宮 供御所井
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます