冬柏亭
与謝野家は、昭和2年に、当時の東京市外荻窪村(杉並区荻窪2の119)へその居を移した。広い屋敷の中には、「采花荘」と呼ぶ日本屋と「遥青書屋」という大きな洋館があった。
この2つの建物の間に「冬柏亭」と呼ばれる書斎が、晶子先生の50の賀のお祝い(昭和4年12月)に、お弟子さんたちから贈られた。それが完成したのは昭和5年3月である。晶子先生の没後、昭和18年10月に冬柏亭は、門下生の岩野喜久代氏によって、大○にある氏の住居へ移された。
それが岩野氏のご好意から、さらに鞍馬山に移築されたのは昭和51年4月のことで、同門の信楽香雲先代管長とのご縁によるものである。
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