二条公園と平安宮の遺跡
この二条公園は、昭和9年に開催された「大礼記念京都大博覧会」会場内の児童遊園地を利用し、整備して開園しましたが、近年、施設の老朽化が進んだことから、ワークショップ並びにアンケート調査を基に検討し、街中にある自然を取り込んだ多世代がふれあえる空間のある公園として生まれ変わりました
またこの二条公園は、平安時代には右の平安宮復元イラストの赤く塗りつぶした宮内大路(きゅうないおおじ・大炊御門大路と壬生大路の交差点北域)にあたり、壬生大路を挟んで平安宮の重要な役所である太政官と宮内省及び園韓(そのから)神社(かみしゃ)(園神と韓神を祭る)がありました。
公園整備前の平成15年2月に遺跡確認調査を行った結果、宮内省西面の南北築地基底部(地業跡)や溝とみられる遺構のほか、平安時代前期の遺物築地包含層が見つかり、その中から当時使用されていた瓦や土器が出土しました。
1区では、江戸時代に整地された土層が確認されました。
2区では、天皇や皇族の衣食住を担当する役所「宮内省」の西面築地塀の基礎工事跡と宮内省の内溝とみられる遺構が既往の調査結果から推定ラインに一致してみつかり、合わせて平安時代の瓦や土器などの遺物が出土しました。
平安宮 ⇒ 平安宮と周辺史跡 37ケ所