旧 平安京右京三坊北辺並一条
この花園団地の区域は、右図のように平安京右京三坊の北部で、三坊の西辺を区切る木辻大路に沿って東西幅約1町(約120m)になり、南北には一条大路の南辺から、正親町小路・土御門大路・鷹司小路の3町にわたる(路幅を加えて約414m)区域を占めている。
平安京は、もとこの辺りに勢力を張っていた秦氏のすすめもあって延暦13年(794)に、桓武天皇が造営された都につけた名である。
この都は計画的に道筋をととのえたものであったが、1200年に近い年月の経過は、ほとんど消え、地上によくのこされていない。
その平安京の跡を求めて、京都工芸繊維大学繊維学部敷地からこの住宅団地に変わる機会をとらえて、昭和51年の夏から発掘調査を約1年間にわたり行い、① 平安京の北京極にあたる一条大路の南側溝や② 土御門大路の北築地塀及び木辻大路東築地塀加えてそれに沿う、溝とそれぞれの一部をみつけ、この二つの築地塀が交差する地点を求めることができた。その地点は今後平安京を復元するには重要な地点となるので、ここに標示するものである。
そのうち上記の①については、ここより北方の箇所で東西に通るのをみつけた。
なおその他の遺跡としてこれより東南方に、平安京以前のものとして、7~8世紀の竪穴住居跡と掘立柱の建物跡を、さらに東北方の区域でも掘立柱建物跡を発見している。このうち東北方の一群の中に、平安時代初期、10世紀の遺物も発見しているので、伝承の宇多院跡を示すものと考えている。
平安京 ⇒ 平安京ゆかりの地 66ヶ所