内里はもと有智郷村といい、木津川の氾濫原に位置する農耕集落である。今は八幡市になっているが、古くは「綴喜郡有智郷」(和名抄)に属し、内臣(うちのおみ)一族の居住地であった。内氏は大和国宇智郡より来住したといわれ、『古事記』孝元段によれば、内色許男(うちしこお)の娘は孝元天皇の后となり、比古布都押乗信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生んだ。同命の子が味師内宿禰(うましうちのすくね)といい、のちに内臣の祖となったという。当社は内臣とその祖神を祀った氏神社で、その創祀年代ははっきりしない。もとは村の東南にあったが、室町時代の大永の乱に荒廃し、天正年間(1573~92)の今の地に移ったといわれ、旧地は今なおお古宮とよんでいる。
内神社
平成13年から2年間にわたり行われた「内神社造営事業」の際、現本殿の鎮座地よりこの地に移築保存された。
建立年代は海老紅梁の伸びやかさや、蟇股の肩の盛り上がり、また足の伸び等から江戸中期の建築物と伝えられてはきたが、この度の造営事業の折に行われた調査で、外陣右側腰板から、寛保3年(1743)の墨書銘が発見されたことにより、ある程度の建築年代の特定がなされた。
京都府登録有形文化財
大正7年(1918年)
寛保3年9月(1743年)
神社 前回の記事 ⇒ 神社八幡0194 八幡 石田神社 石田社
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます