芹根水の碑 と 文房四神之碑
また、ここより北にあった木津屋橋は、「月見橋」ともいわれ、ここから東山を眺めると阿弥陀ケ峰と清閑寺山とのあいだからから上る月が、あたかも信州(長野県)の姥捨山の景に似ているといわれ、むかしは月見の名所であった。
芹根水の碑
ここには何が書かれているのか 判読出来ず
芹根水の碑
江戸時代後期 花崗岩(白川石)
芹根水は、むかし洛中七名水の1つに数えられていた。
西本願寺前の堀川は、七条から西南に向かって緩いカーブをなして南流している。
安永9年(1780)の「都名所図会」によれば「芹根水は堀川通木津屋橋の南にあり、近年書家 烏石葛辰 清水に井筒を入れて傍らには芹根水の銘みづから (中略) 書して石面に彫刻す云々」と記し、石の井筒から清水が涌き出して堀川に流れ込むさまを図示している。
江戸時代の著名な書家、烏石葛辰(1700~1779)は葛烏石、烏石山人とも号し、洛中名水の保存と顕彰に努めた。この碑もその代表的な1つであり、惜しくも年銘はないが今から230年前宝暦年間の製作と考えられる。
以来この名水は文人墨客、茶道家、商家一般に永く愛用されたが時移り大正3年(1914)堀川改修に際して濁水混入し井筒も失われ、独り碑のみが護岸中にのこされていた。いま堀川暗渠工事に先立ち、碑を河中より引揚げその保存を図るも、飲水を大切にした古人の心を現代に伝えたい願いにほかならない。
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文房四神之碑
文房四神之碑
江戸時代の書家、烏石葛辰の書と伝えられる葛辰は「芹根水」の書家でもあり、この付近の下魚棚通り西堀川角に居住していたという記録が残されている。文房四神の碑は、南方。朱雀を筆 東方・青龍は硯 西方・白虎を紙 北方・玄武は墨となり、これは筆硯紙墨(ひっけんしぼく)を四神になぞらえて崇敬したものである。この碑は、道祖神社の「書聖天満宮」に建てられていたが、神社の改築に伴い、平成6年7月にここに移設された。
文房四神之碑【篆額】
書契代縄夫降 此宝精爽攸託焉 従枯槁*管赤心上 応朱雀琢磨所至青龍
卞躍文炳将開厥象白 虎自陰顕陽厥神玄武維 茲四神感斯格思秉文
君子其可射思 宝暦三年癸酉歳季秋之月
藤公縄篆岡白駒銘葛辰書 烏石之徒立
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