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京都市東山区本町10-167
閻魔山 浄心寺
浄土宗西山派の寺であるが、天台宗妙法院にも属している。寺伝によれば、はじめ弘法大師作の閻魔王像を本尊としていたのに因んで閻魔山と号していたが、応仁文明の乱の兵火に罹災し、像は東寺へ移されてしまった。室町時代に月峰上人が寺の再興に当たって返還を求めたが、東寺は容易に応じず、代わりに他の仏像三体を渡した。これが現在の本尊阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)と脇侍の大日如来坐像(平安時代)・地蔵半跏像(鎌倉時代)と伝わり、いずれも古様をおびた像である。
三尊仏のうち、阿弥陀像は高さ86.3㎝、寄木造り、定印をむすんで結跏趺座する。顔容は優艶にして衣文の線はやわらかく、「院派」といわれる京都の仏師の伝統的な作風があり、いわゆる平安様式をただよわせた鎌倉初期の作と推定される。大日如来像は高さ87.3㎝、一木彫り、密教彫刻の様式をもった威厳のある顔容を呈し、内部のくり抜きの荒いことから平安中期の作とみられる。また、地蔵菩薩像は右足を組み、左足を下におろした半跏像で、高さ1.13m、寄木造り、彩色像。衣文のひだの線の力強い彫り方や内部のくり抜きの深いことから鎌倉後期の作とみられる。
因みに元禄年間(1688~1704)妙法院獅子吼院宮は当時の住持淵竜上人にふかく帰依し、三尊仏の灯油代として付近の菅谷畑を寄進されたという。東寺がこのような勝れた仏像を手放したのには、わけがあったのだろうと思われる。
寺院 前回の記事 ➡ 寺院東0326 寶樹寺 浄土宗
五七五
フロで歌窓の外から拍手くる /イリコ
ことわざ
脂に画き氷に鏤む(あぶらにかきこおりにちりばむ)
脂肪のかたまりに絵を描いたり、氷に彫刻をしても、すぐ消え失せてしまうことから、実体のはっきりしないものに向かって苦労しても甲斐がないこと。骨折り損の意。
類・氷に鏤め水に描く
・水に絵を描く
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