京都の西郊を流れる御室川の治水工事を,流域の葛野郡梅津・西院・京極・吉祥院の4か村が協力して行い,その竣工を記念した碑。首唱した京極村の中心部である山陰街道沿いの現在地に建てられた。
1906年建立
葛野郡梅津村・西院村・京極村・吉祥院村
治水碑【篆額】
貴族院議員正三位勲二等男爵 北垣国道 篆額 山田得多書
平安城西双岡以南田野平曠村落相望御室川貫其間南流入桂川平時水涸無涓」
滴暴雨則濁流奔溢毀*没田其害甚大脩治之費役作之労村民常患之京極村長」
湯川半左衛門等相議大改脩之梅津西院吉祥院三村咸賛之遂請官得允明治三」
十三年十一月剏工三十八年一月告竣改流域減長十二間餘而加広二間廃沿川」
地五千八百九十歩脩両*長各千六百八十間餘高一間六分厚三間而其上殺三」
分之二費金弐万九百八拾円其六出於官其四係村民之出於是村民始免積年之患 【「係」字行間後補】」
矣乃相喜曰嗚呼是挙也能除難除之害以永福利宜建碑不朽其功遂来索予文予」
以郡宰親董是役当事吏胥皆能竭力規画以致是喜而村民之喜乃予喜也因不辞」
而係以銘曰
不溢不壊 偉哉治水 一片貞# 紀功志喜
明治三十八年六月 京都府葛野郡長従六位勲六等 有吉三七
[北西]
組合管理者
葛野郡長 有吉三七
関係村長
梅津村長 小山弥三郎
西院村長 西村 太郎
元西院村長 太田時治郎
京極村長 湯川半左衛門
吉祥院村長 石原菊太郎
元吉祥院村長 小原伝之丞
同 岡崎清右衛門
[北東]
油小路魚棚北 石巳
御室川治水碑 碑文の大意
京都の西郊では,双丘(ならびがおか)より南は田野が広がり,その中に村々が点在していた。御室川はその田野の中を流れ桂川に合流する川である。ふだんは水が少ないのだが,大雨になると濁流があふれ耕地をひたし,その損害は大きなものがあり,川普請の経費や労力は流域村民の悩みのたねだった。そこで京極村村長湯川半左衛門らは大規模な治水工事を企画し,流域の梅津・西院・吉祥院の三村もこれに賛同した。
計画の認可を受け,明治33年11月に起工し,同38年1月に竣工した。この工事で川の流れは12間あまり短くなり,川幅は2間拡張した。川沿いの土地5890歩を供して堤防を作り,その延長は両岸おのおの1680間余で高さが1間6分,下部で厚さ3間,上部で2間にも及んだ。総工費は20,980円で,6割が京都府から支出され,4割が地元負担であった。
治水工事の完成で永年の悩みが解決され,村民はこの業績を顕彰するために石碑を建てることを計画し,わたし(葛野郡長有吉三七)に碑文を依頼した。わたしは郡長としてこの工事に関係し,配下の者もよく力をつくして完成に至ったのである。すなわち村民の喜びはわたしの喜びでもある。このためあえて文を作った次第である。
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