芦雪は1755年淀藩の生まれ、円山応挙の弟子となり優秀だった、動物の動的描写にすぐれ、天明・寛政年間で活躍しました。1799年亡くなる 45歳
石碑 芦雪の墓この寺にあり とある 明治時代の建立 大きな石碑だ
1799年 土佐の山内侯の藩の御用絵師になることが決まり京を出て大阪の道頓堀で芝居を見た後、その夜急病で亡くなった。一説には妬まれ、出迎えの絵師に毒殺されたのではないかともいわれています。
右隣は 息子夫婦の墓とのことです
平成28年6月20日 追加
長沢芦雪 回向院
芦雪は夏目漱石の「草枕」にとりあげられている
芦雪は丹波の出身で山城淀藩の水夫目付(かこめつけ)の子に生まれ、応挙に弟子入りした。寛政2年(1790) 寛政禁裏造営のとき、御涼所の障壁に山水花鳥を描いた。大和の薬師寺、紀州草堂寺、三河正宗寺の障壁画、屏風画など大作に腕をふるった。また、3センチ四方の紙に肉眼で見分けられない五百羅漢を描くこともした。芦雪の落款は魚。奔放な性格と画風が芸州藩絵師のねたみを買い寛政11年6月8日、大阪で暗殺された。45歳。長沢家の墓所に子芦州、孫芦鳳の墓にかこまれ眠っている。本堂の内陣八畳敷きの天井いっぱいに大きな龍が描かれている。芦雪の作ともいわれているが、魚印がない。本堂は天明2年(1782)に建っていてつじつまはあうとのこと。
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