網代とは、氷魚をとるために竹や木を編んで網の代わりとし、川瀬に立てておくもので、氷魚は鮎の稚魚をいう。これらは宇治の名物とされ、氷魚が天皇の食膳に供されたことが『延喜式』にある。
宇治川は水源を滋賀県の琵琶湖に発して、瀬田川となり、宇治川となり、八幡市で木津川と合流する。もとは宇治橋下流で巨椋池(おぐらいけ)にそそいでいたが、文禄年間(1592~96)、伏見城築城に際し池から分離し、現在のごとく流路を付け替えた。
古来、大和から近江に通じる水路として、南都東大寺の建立にあたっては近江の木材を宇治川に下して巨椋池に運び込み、さらに木津川をさかのぼって木津に陸揚げされた。
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