昭和28年 重要文化財に指定される。古石塔の中では日本一の高さを誇る。上の基礎石の北面に宇治川網代禁制の官符および石塔造立に関する銘文1000文字が刻まれています。
慶長元年(1596)の大地震で相輪が落ちて砕け、上方4重が傾いたのを、慶安3年(1650)に淀城主永井尚政が再興した時の経過を記した南面にある。
笠石は雄大で、軒反りも大きく、特に初重軸部の金剛界4仏の大梵字は豪快。
この塔は弘安9年(1286)奈良西大寺の僧叡尊(興正菩薩)が宇治橋の架け替えに際して建立したもの。
上人は、橋の流失は乱獲される魚霊の祟りであると考え、殺生の罪をいましめ、網代を棄ててことごとくこの地に埋め、あわせて経巻を収めて供養塔とした。基礎の表面にはその由来をしるした一千文字をこえる銘文が、網代停止の官符ととにきざまれている。
塔は宝暦6年(1756)の洪水で流失し、長らく川中の埋没していたが、明治41年(1908)発掘し、九重目の笠石と相輪を新しく作って再興された。毎年8月16日には塔前で精霊送りが行われるるる。
伏見の藤森神社の境内手洗舎の水鉢は、ここの石塔の層塔を流用したものと伝わる。
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