轆轤町(ろくろちょう)にある。むかしこの辺からおびただしい人骨を掘り出したので「髑髏町(どくろちょう)」とよんだ。寛永年間所司代 板倉宗重が今の名に改めたという。
一説には六原の古名を転訛したものともいわれている。
六波羅蜜寺
天暦5年(951)、疫病平癒のため空也上人により開創された真言宗智山派の寺院で、西国33ケ所観音霊場の第17番札所として古くから信仰を集めている。空也上人の自刻と伝えられる11面観音立像(国宝)を本尊とする。
空也上人は醍醐天皇の第2皇子で、若くして出家し、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたことで知られ、今に伝わる六斎念仏の始祖である。
往時は寺域も広く、平家の邸館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平盛衰の史跡の中心でもある。宝物館には定朝の作といわれる地蔵菩薩立像のほか、空也上人立像、平清盛坐像、長快作の弘法大師像など数多くの重要文化財を安置し、境内の十輪院が仏師運慶一族の菩提寺であったことから、本尊の脇に祀られていたという運慶・湛慶坐像も所蔵している。
年中行事として、正月3が日の皇服茶、8月の万燈会、かくれ念仏として知られる12月の空也踊躍念仏(国の重要無形民俗文化財)が有名である。
阿古屋塚
阿古屋の菩提を弔うために鎌倉時代に建立す。石造宝塔は鎌倉時代の作で、その下の台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。
歌舞伎 檀浦兜軍記「阿古屋」
平家の残党 悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子阿古屋に景清の所在を問い質す。阿古屋は知らぬと申し開きをするが、詮議のために弾かせた琴、三味線、胡弓などの調べに一点の乱れのないことに感動した重忠は阿古屋が景清の所在を知らぬことが真実であると知り釈放する。「阿古屋の琴責め」とも称される。平家物語の裏面に隠された「阿古屋」の悲恋を語り伝えるためにこれを記す。
坂東 玉三郎
山主 純性
曹洞宗高祖
道元禅師御説法之御遺蹟
大本山永平寺の御開山 道元禅師(1200~1253)は寛元元年(1243)4月29日六波羅蜜寺に於いて『正法眼蔵』 「古仏心」の巻を、衆に示された。このことを顕彰いるためにここに建碑する。
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