三宅安兵衛(1842年~1920年)
(みやけやすべえ)八幡市内の道標の多数を占める三宅安兵衛氏銘の道標は69基ある。ほとんどは1927年(昭和2年)で、84%が集中している。1930年(昭和5年)の2基は浜田青陵氏の書で、三宅安兵衛氏長男清治郎氏銘となっているが、1927年(昭和2年)10月が32基と最も多い。
「京都三宅安兵衛依遺志建之」と碑文にある三宅安兵衛氏は、1842年(天保13年)、若狭小浜で生れ、幕末の京都へ奉公の後、京都で帯織物業を営み、一代で財をなした。
1920年(大正9年)、享年79で死亡したが、その前年、家業を継いでいた長男清治郎氏を呼び、金1万円を渡して「公利公益に使え。用途は一任する」と遺言したと伝えられる。
遺言によって、清治郎氏は旧蹟案内と道標の建碑を決め、1913年(大正12年)から1930年(昭和5年)の8年間にわたって、南山城一帯を中心に、当時京都帝国大学の考古学講座担当教授であった浜田青陵博士の協力を得て、全数400基におよぶ建碑を実行した。費用総額は2万円(現在の価値にすると約1億円)に達した。八幡市内には、後半の4年間を費し、道標70基近く、その他旧蹟碑を含めると120余基の建立があった。
104 105 史跡井手056 蛙塚 道標井手0279 玉の井 井手0280 井堤蛙舊蹟 三宅石碑
106 史跡井手057 井堤寺跡 道標井手0281 井堤寺故址 三宅石碑
109 ~ 119 道標八幡0286 三宅安兵衛 道標11基 八幡ふるさと学習館にありました。
121 史跡八幡067 石清水八幡宮 瀧本坊 三宅石碑 松花堂昭乗 「空中茶室」
124 史跡八幡074 石清水八幡宮 表参道 豊蔵坊 三宅石碑
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