1200年 京都に生まれる 宇治市木幡で生まれたと推定される。
3歳 父(内大臣、久我通親)亡くなる
8歳 母(藤原基房の娘)亡くなる。母は死を前に「仏門にはいれ」と諭している。
13歳 比叡山に登る。
18歳 建仁寺に入る 栄西禅師の門をたたく。
24歳 中国へ渡る。
26歳 中国で天童山 如浄和尚と会い、やがて如浄和尚のもとで大悟する。
28歳 中国から帰る。
31歳 深草安養院(現 欣浄寺)に閑居。ここで「正法眼蔵」を書き始める。
34歳 深草興聖寺を開く。いま日蓮宗の宝塔寺がある深草宝塔寺山町は道元が本格的な弘法救生活動に乗り出すため建てた深草興聖寺がかつて建っていたところと伝わる。
36歳 宇治に興聖寺僧堂を建立。
44歳 京都を去って福井へ。越前の武将 波多野義重の招きに応じる。 永平寺を創建した。
名利に捉われず、理論を捨てて体験による行の宗教を強く主張した鎌倉時代の偉僧
54歳 夏病をえて療養のため京都へ帰る。結核のようだった。
8月28日 下京区高辻通西洞院西入ルの俗弟子の家で死去。「東山の赤辻」にて荼毘。
円山の西行庵の真南裏を複雑に入り込んだ所にある
遺骨は永平寺に埋葬された。
誕生寺 伏見区久我本町3-1
源光庵 北区鷹峯西桝屋町1038 寺院北0502 源光庵 血天井
天寧寺 北区寺町通鞍馬口下る天寧寺門前町301 天寧寺 曹洞宗 額縁門
興聖寺 宇治市宇治山田27-1
靖国寺 宇治市宇治金井戸7-14
禅定寺 綴喜郡宇治田原町大字禅定寺庄地100
欣浄寺 伏見区墨染西桝屋町1038 寺院伏0225 欣浄寺 曹洞宗 小野小町 道元禅師 伏見の大仏さん
栄春寺 伏見区桃山町丹下30 寺院伏0324 栄春寺 曹洞宗 総門は伏見城の遺構 長沼宗敬澹斎の墓所
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