昭和2年3月 建立
浩宮殿下(現天皇陛下)参拝紀念
禅定寺
曹洞宗の寺で、多くの古文化財を有する当地方屈指の名刹。
当寺は正暦2年(991)、奈良東大寺の別当平崇(へいそ)上人が藤原兼家の帰依を得、11面観音像を安置し、補陀落山観音妙智院と号したのが起こりとつたえる。創建当初は本堂をはじめ三昧堂・毘沙門堂・舞殿など、多くの堂塔と寺領を有し、尊信をあつめたが、藤原氏の衰微と中世の兵火に罹災し、寺運は衰えた。延宝7年(1679)加賀国大乗寺の月舟和尚を迎え、加賀藩の家老本田長政の援助によって再興されたのが現在の建物はじめは東大寺末であったが、このとき曹洞宗にあらためたとつたえる。
境内は見晴らしがよい。茅葺の本堂は田舎風の素朴な建物であるが、平安時代の多くの古仏を安置する。昭和48年新造の収蔵庫に保管されている。
本尊11面観音立像・重文
日光・月光菩薩立像・重文
四天王立像・重文
文殊菩薩騎獅像・重文
大威徳明王像
地蔵菩薩半跏像・重文
禅定寺文書
美女石 禅定寺の本尊観世音菩薩はあるとき孤独な娘になり、貧しい村人に「ころ柿」の製法を伝授し、村の発展に導いた。この石は、その娘が立ち消えたところにあった石といい、のちに村人たちは観世音菩薩の出現地として崇敬するに至ったという。ちなみに「ころ柿」を「孤娘柿」としるすのは、この伝説によるものと伝わる。
五輪石塔(南北朝)
康永元年(1342)在銘の典型的な南北朝時代の五輪石塔である。
11面観世音尊像 禅定寺
昭和3年 三宅安兵衛 建立
人の背丈もある大きなわらじ
五輪石塔(南北朝)
康永元年(1342)在銘の典型的な南北朝時代の五輪石塔である。
本堂
壁画がありました
壁画の原画
奉納絵馬
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