アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

神社西0059  大原野神社 社号標 ここにもあった

2016年07月12日 06時15分11秒 | 神社

駐車場の入口   表参道より 西にあります

明治33年4月建立  

正七位  富岡百錬書  富岡鉄斎のことです

 

 

富岡鉄斎  関連記事  ➡  関連0014  富岡鉄斎

  石碑5  車折神社碑

  右書き看板64  堂月桂

  小川 千甕  京に生まれ、富岡鉄斎に憧れ、仏画を描き、浅井忠に洋画を学び、ルノワールに会い・・・

  圓光寺  臨済宗南禅寺派

  身内をすべて失った女性 太田垣蓮月 美人で陶器・「蓮月焼」が人気になった

  丹という女性

  霊光殿天満宮

  富岡鉄斎 旧宅跡

  神社右0012-6 車折神社 表参道 第3鳥居まで 

  神社右0012-2  車折神社  表参道 第3鳥居から 本殿まで

  神社右0012-1 車折神社(くるまざき じんじゃ) 南参道入り口  

 

神社 前回の記事 ➡ 神社西0058  大枝稲荷神社 

俳句

梅焼酎の 酔の涼しき 夜なる哉 /月斗


まち歩き西0129   この立看板は どういうこと

2016年07月11日 07時00分00秒 | まち歩き

 

 

御分身

水子供養寺根元地

京都市右京区山の内宮前町12

 

佛の古都京都千貮百有余年の歴史ある水子供養

日本最古の総菩提所に参拝しましょう

 

 

住所にある寺はこちら  ➡

   念佛寺  1200年前、伝教大師の母がこの地で過ごし亡くなる  

まち歩き 前回の生地 ➡ まち歩き西0128  大原野でトトロに出会いました 

 


道標西0051  大原野・柳川  道標と愛宕灯籠と地蔵さん

2016年07月11日 06時11分08秒 | 道標

柳川の交差点  ここを右に行けば小塩山だ

 

 

 

道標

右  大原野神社  花の寺  近道

 

左  吉峯  岩倉

 

大正11年(1922)11月14日

紀念区在郷軍人

 

 

地蔵さん

新しい花が供えられています

 

 

愛宕灯籠

愛宕山 と書かれています

 

寅 と 六 から おそらく

寛政6年(1794)10月 の建立ではなかろうか

42   愛宕灯籠042   西迎寺  門前 

41   愛宕灯籠041   沓掛 山陰街道沿い  

40      愛宕灯籠040   五条上桂前田町交差点を北へ

39    愛宕灯籠039    弥勒寺を西へ      

38    愛宕灯籠 38 垣根の中に埋もれて  道標・浄住寺地蔵院の向かい

37  愛宕灯籠  道標も兼ねています  さが  あたご

36  愛宕灯籠 36  三ノ宮神社前

35  愛宕灯籠  35   桂・廣見寺門前

34  愛宕灯籠34  愛宕山大権現  千束で  原谷を目指して2

33 愛宕灯籠33  葛野七条

32  愛宕燈籠  上桂

31 愛宕灯籠  妙心寺付近で

30 愛宕灯籠  左京区  一乗寺馬場町

29 愛宕灯籠29  西京極・松尾三ノ宮神社 参道

28 愛宕灯籠 桃山江戸町  

27  愛宕灯籠 若一神社

26  愛宕灯籠  妙心寺北門前にあり

25  愛宕灯籠  妙心寺北門を東

24  愛宕灯籠 鳥居本 愛宕一の鳥居で

23  大覚寺門前 平成愛宕灯籠

22  大覚寺門前 の愛宕灯籠・大正

21  大覚寺 門前 の愛宕灯籠・明治

20  大門橋 東 愛宕灯籠

19  山越えの愛宕灯籠

18  愛宕灯籠  西院坤町

17  愛宕灯篭  帷子ノ辻 南へ

16  愛宕灯篭  双ヶ岡

15  愛宕灯篭  花園駅 北へ

14  愛宕灯篭  妙心寺を西へ

13  半分埋没した 愛宕灯篭 それでも残っている 民家の前

12  愛宕灯篭  今も使われている

11  愛宕灯籠  大きい 立派  鹿王院を東へ

10  愛宕灯篭  嵯峨駅南へ 嵐山近く  民家敷地にぎりぎり設置

愛宕神社石碑  三条通りの南で見つけた

愛宕灯篭  1814年に作られたもの

7  愛宕灯篭  車折神社の南へ行った所にありました

愛宕灯篭  正定院の近くで

愛宕灯篭  斎宮神社内にありました

4   愛宕灯篭  車折神社内にも あった

3  

愛宕灯籠    梅津大神宮を追加

愛宕灯篭・大映通東詰

 

道標 前回の記事 ➡  道標西0050  北茶屋の道標  

愛宕灯籠 前回の記事 ➡ 愛宕灯籠042   西迎寺  門前 


道標西0050  北茶屋の道標

2016年07月10日 06時16分22秒 | 道標

西向きに 写しています  右が北

 

 交差点の東側に 地蔵さん と 灯籠がありました

 

 

 

 

東面  左  粟生 光明寺  柳谷

 

南面  刻なし

 

北面  右 大原野神社  花の寺

岩倉  吉峯寺

 

齋藤治一建立

 

大原野には 齋藤姓が多い

それは、先祖が大原野神社に関わりを持っていたからで

特に野田という在所などは殆ど全部が齋藤姓です

 

 

道標 前回の記事  ➡  道標西0049  淳和天皇御陵  大原野村道路元標 


神社西0058  大枝稲荷神社  

2016年07月10日 04時39分37秒 | 神社

 

 

扁額  稲荷神社 と書かれています

 

 

拝殿

 

応 らしき文字は見えるのだけど

 

拝殿と 本殿

 

寛政7年(1795)10月

 

本殿

 

天保4年(1833)2月

當村  中村氏

 

 

 

神社 前回の記事 ➡ 神社西0057  大歳神社 


石碑西0051  灌田記念碑・大蛇ケ池

2016年07月09日 17時36分25秒 | 石碑

 

 

 

 

灌田記念碑・大蛇ケ池

乙訓郡大原野村字石見上里区戸数百余農を以て専業とす古来水利便ならす灌漑たために寝食を忘れしこと尠からす明治16年の大旱に當りてば殆と人力の極を盡して而も秋實を見ること能はす徒らに天を仰いて痛恨せるのみ爾後西巒の伐採は當區唯一の水源で枯渇せしめ加ふるに區内の丘陵は悉く孟宗畑と化し保水力を失ひくるを以て旱害を蒙ること更に甚し地主相會し潴水池開墾の議を決し耕地整理法に基き組合長以下役員15名を選任し百難を排け大正6年起工約2年にして竣工し大蛇ケ池と命名す水量実に400萬立法尺灌漑60町歩余に及ふ此に至りて旱害初めて去り區民其の業に安んす今・に小作團員相謀り碑ふを建て以て此洪徳を記念せんとし余に撰文を嘱す余其の美擧を賛し書して以て之を與ふと爾云

京都府乙訓郡長従七位福田増藏撰  能村仲襄書

 

反対側には 多くの人の名が記されています

 

石碑 前回の記事  ➡ 石碑西0050  忠魂碑  西迎寺門前にありました