慰霊碑
日露戦役紀念碑
二宮尊徳像
都々城小学校の跡
歌碑
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑久御山0193 悠久豊和の郷
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日露戦役紀念碑
二宮尊徳像
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宝池山(ほうちざん)と号する浄土宗知恩院派の寺。天正11年(1583)周善上人の開創と伝える。明治初年に双栗神社の神宮寺の旧薬蓮寺を引きつぎ、境内に薬師堂を建て、薬師如来像と二体の阿弥陀如来像を安置したが、昭和36年(1961)第2室戸台風により建物が倒壊し、3尊も砕けてその原容を失った。仏像の断片を拾い集め、10年後の昭和45年(1970)に修理が行われた。
薬師如来像(平安時代)は昭和48年(1973)新築の薬師堂に安置されている。高さ1.42m、寺伝では仏師定朝の作と伝える。定朝の活躍年代に相当する時期の作とみられ、久御山町一帯の仏像の手本となった根本像。他の二体の阿弥陀如来坐像(平安時代)は修理後、今は京都国立博物館の所蔵となっている。いずれも、半丈六の像。他に寺宝として銅造釈迦誕生仏立像(平安時代)があり、高さはわずか11cmの右手を敬礼風に挙げている。
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院久御山0573 満願寺 浄土宗
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満願寺 浄土宗 東向山
浄土宗知恩院派の寺で、大同年間(806~10)天台寺院として創建され、慶長年間(1596~1615)浄土宗に改められる
薬師如来坐像(平安時代)は、高さ1メートル。西林寺の薬師如来像と多くの共通点があるとのこと。
「阿弥陀独尊来迎図」も寺宝にある。
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院久御山0572 善林院 浄土真宗本願寺派
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1月14日の深夜から15日の未明にかけて行われる「御神差(おかんざし)」は粥占いの神事で竹筒の中に入れる粥の量によって、1年間の農作物の豊凶を占うといわれる。
重要文化財
雙栗(さぐり)神社本殿
当社は貞観元年(869)正月27日に、従五位下の神位を賜い延喜の制には小社に列せられ、また、「延喜式神明帳」にも山城国久世郡雙栗神社三座と記されてあり、古くから神社の存在していたことがわかる。
延宝4年(1676)の奥書を持つ「椏本(あてもと)八幡宮縁起」によると、応保2年(1162)当宮に勅使が立てられ、勲一等を受け、神田を賜い、
椏本一品八幡大菩薩と号し、橘氏をもって神司と定められたという。その後明治15年(1882)に至って、雙栗神社と旧号に復されているが、創建時の本殿の形式については明らかでなく、古記に応保2年に造営され、明応3年(1494)には屋根の葺き替えを行ったと記されており、現本殿はこの明応3年に建立されたものと考えられる。
神社 前回の記事 ⇒ 神社久御山0164 若宮八幡宮 京都府登録有形文化財
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護念山と号する浄土宗知恩院派の寺。安永3年(1774)在銘の「称名寺縁起」によれば、当寺は天文3年(1534)西誉上人の開創と伝える。西誉は越前国福井の人で、諸国を修行中、日野の里(伏見区)の平山家に一泊したところ、同家の先祖が鴨長明からゆずられたという行基自作の像をもらいうけた。上人はその像をかついで佐古村の吉岡家にたちよったところ、像は盤石のごとく動かなくなったので、そこに一宇を建てて像を安置したのが当寺の起こりであると伝える。
一説に大同年間(806~10)の創建ともいわれ、初めは天台宗であったが、天正2年(1574)現在の浄土宗に改めたといわれる。明治初年には付近にあった法蓮寺・東明寺を吸収合併した。
国宝薬師 大日如来尊像 称名寺
東 林二丁 北 市田五丁
西 田井十三丁 南 佐山一丁
本堂に安置する本尊阿弥陀如来坐像(平安時代)は、日野からうつしたといわれる仏像である。高さ54cm、檜の一木彫り。
また、薬師如来坐像(重要文化財・平安時代)は法蓮廃寺の旧仏といわれ、西林寺の薬師像と同じく、藤原仏。久御山町現存唯一の重要文化財となっている。
木造薬師如来坐像
大正6年(1917)国宝(現重要文化財)に指定された法蓮寺の旧仏である木造薬師如来坐像は、高さ138cm、檜の寄木造り、内 り像で、・・・定朝様の静的な・・12世紀後半の作と考えられる。
他に客仏としては、胎蔵界の大日如来坐像(平安時代)がある。東明廃寺の旧仏といわれ、高さ89cm。
寺院 前回の記事 ⇒ 祠久御山045 神牛石社 寺院久御山0570 大松禅院 三宅石碑 愛宕灯籠
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1 久御山
2 双栗神社 本殿・重文
3 狭山江御厨址
4 古川
5 浄安寺
6 神牛石社
7 西林寺
8 満願寺
9 称名寺
10 室城神社
11 下津屋祭
12 迎接寺
13 荒見神社
14 専念寺
15 珠城神社
16 市田薬師堂
17 御牧
18 玉田神社
19 美豆森
20 華台寺
21 一口
22 山田家屋敷
23 御牧城址
24 大池神社
25 安養寺
26 若宮八幡宮
27 藤原愛発別業址
28 封戸ノ渡り址
29 永福寺
30 妙蓮寺 浄土宗
31 光福寺 浄土真宗
32 久御山公民館の遺跡案内
33 北向 毘沙門天尊像
34 観音寺 浄土宗
35 磐田神社
36 稱名寺 浄土宗
37 何の石柱 野村 講中
38 田畑に保冷車の冷蔵庫
40 石仏 2面仏
41 円福寺 竹久夢二旧跡
43 木津川堤 上
44 石碑 悠久豊和の郷
45 大光寺 浄土真宗本願寺派
47 善林院 浄土真宗本願寺派
48 愛宕灯籠 満願寺近く
50 大藤神社
51 光福寺 浄土宗 月照山
52 ほ場整備 記念碑
53
京都府登録有形文化財
若宮八幡宮本殿 一棟
三間社流造 銅板葺 室町時代後期 平成7年3月14日登録
現在の本殿は、三間社流造、銅板葺で向拝を付し、江戸時代中期に建てられた覆屋内にある。向拝の打越垂木などは面取りでかなりの反りをもち、三斗の組物も大面取りの伸びやかな姿をしている。また、向拝中央間ののみ竜と笹を意匠とする蟇股を置いている。
本殿の建立年代については、永正6年(1509)の「若宮八幡宮上葺置文」及び天文19年(1550)の棟札に屋根葺替が行われたとあり、向拝の組物、桁、垂木等の形式手法からみて、室町時代後期に遡るものと思われる。
本殿は、山城地方の神社の中でも室町時代後期の用材を多く残した本殿として貴重であり、中近世における修理の経過も棟札から判明でき、当時の村落における鎮守の存在形態を知ることができるものとして注目される。
神社前回の記事 ⇒ 神社久御山0163 室城神社
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傳 弘法大師 作 観世音尊像 大松寺
東 新田 二十丁
昭和3年10月 京都 三宅安兵衛 建立
神牛石
神牛石社(しんぎゅうせきしゃ)
神牛石と称する霊石を祀った小社。この石は寛元元年(1243)、興正菩薩叡尊が当地の山福寺(廃寺)に安置していたものと伝える。黒く、形は牛の如く、天下に凶事あるときは、必ず汗を流すといわれ、以来、牛の守護神として崇敬された。神牛石は赤・白・黒の三種あるといわれ、上野国、琵琶湖中にありここのはそのうちの黒石。
西 下津屋 十三丁
昭和3年春 京都 三宅安兵衛
東
北 佐
木津川床 水量標
霊牛石
愛宕山大権現
元禄12年
十三重石塔
叡尊の建立と伝え、三福寺の荒廃後、神牛石とともに現在の地に復元したものと伝わる、高さ3メートル、初重軸部には梵字が刻まれている。宇治の浮島十三重石塔を縮小したもの。
大松禅寺
三宅安兵衛の道標 2つ ⇒ 関連0002 三宅安兵衛の道標
関連記事 ➡ 愛宕燈籠 一覧
まち歩き宇治0945 浮島十三重石塔 日本で現存最大の15メートル
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観音めぐり ⇒ 城南近在三十三所観音巡拝札所 一覧
最勝山
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院久御山0568 浄安寺 浄土宗 三宅安兵衛 石碑
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第1番 久御山町坊の池 観音寺
第2番 久御山町北川顔 極楽寺
第3番 伏見区淀新町 長円寺
第4番 伏見区淀池上 光明寺
第5番 伏見区淀水垂 常念寺
第6番 伏見区淀美豆 円通寺
第7番 伏見区淀美豆 西岸寺
第8番 伏見区淀際目 西光寺
第9番 八幡市宿居 大乗院
第10番 八幡市太子町 師前観音堂
第11番 八幡市山路町 念佛寺
第12番 八幡市山路町 正福寺
第13番 八幡市森ノ町 観音寺
第14番 伏見区淀生津 東光寺
第15番 久御山町江ノ口 観音院
第16番 久御山町田井 専念寺
第17番 久御山町佐古 称名寺
第18番 久御山町佐山 浄安寺
第19番 久御山町林 西林寺
第20番 宇治市大久保 瑞泉寺
第21番 宇治市大久保 慈尊院
第22番 城陽市寺田乾城 西照寺
第23番 城陽市寺田乾城 長光寺
第24番 城陽市寺田 三縁寺
第25番 城陽市寺田 高岳寺
第26番 城陽市寺田 念佛寺
第27番 城陽市観音堂 観音堂
第28番 宇治市新田 円蔵院
第29番 宇治市羽拍子 法成寺
第30番 宇治市小倉町 観音寺
第31番 宇治市伊勢田町 来迎寺
第32番 宇治市東一口 安養寺
第33番 久御山町中島 華台寺
観世音尊像 浄安寺 北 佐古 三丁
三宅安兵衛 建立
浄安寺
国穏山快楽院し号する浄土宗知恩院派の寺、天喜元年(1053)仁海僧正によって創建された浄福寺がはじまり。浄福寺は椏本八幡宮の神宮寺となり、後醍醐天皇のときには勅願所となった。その後、寺は衰微したが、天正元年(1573)宇治平等院の玄誉徹公上人によって再興され、正親町天皇より浄安寺の寺号と勅額を賜った。
上人は久我家の出身といわれ、念仏弘通につとめ、村民の信仰をあつめた。当寺の中興開山と仰がれている。江戸時代には淀城主松平定綱より寺領、山林の朱印状を下賜された。現在の建物は昭和60年改築されたもの。本堂には本尊阿弥陀如来立像を安置する。
観音菩薩立像・境内の観音堂に安置する。像は明暦年間(1655~58)に建物とともに浄福寺の遺仏と伝わる。高さ1.42メートル。江戸時代には城南近在三十三所観音霊場の第十八番札所。
脇檀に平安時代の作風の等身の地蔵菩薩立像を安置する。
茶室聞名庵は庫裡に隣接する二階建ての茶室で、元京都市長安田耕之助の別邸内にあったものを昭和52年当寺にうつしたとつたえる。
境内には約100種類の椿がある。中でも「浄安寺侘助」は門外不出の逸品。椿寺とも称する
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院久御山0567 迎接寺(こうしょうじ) 浄土宗
三十三所観音めぐり ⇒
関連記事 ⇒ 関連0002 三宅安兵衛の道標
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悠久豊和の郷
佐山集落の起源は1300年以前といわれ、歴史的にも由緒ある土地柄である。
一方大都市圏の京都・大阪に隣接し農産物の生産をはじめ、生活環境面においても恵まれた立地条件を備えている。・・・・
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石碑 前回の記事 ⇒ 石碑伏0192 魚魂碑
迎接寺(こうしょうじ)
護念山と号する。浄土宗知恩院派。天文年間(1532~55)縁誉称念の開創と伝わる。称念は永正10年(1513)江戸の生まれ、芝の増上寺親誉上人のもとで出家し、のちに京都東山知恩院に一心院を建立した。また嵯峨正定院をはじめ京都近郊に7ケ寺を建立し、天文23年(1554)一心院にて入寂したとつたえる。本堂には本尊阿弥陀如来立像を安置し、傍らの厨子内に木造聖観音菩薩形座像(平安時代)を安置する。高さ77㎝、平安時代初期の作風。久御山町の最古の仏像とみられる。もと室城神社の神宮寺にあったが、明治初年の神仏分離に際し、当寺にうつしたと伝わる。
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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院久御山0566 円福寺 竹久夢二旧跡
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