家の右側に通路がある その先にはまた別の民家があるのだろう
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1335 京の通り・富小路通 NO13 路地 鍛冶屋町
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
家の右側に通路がある その先にはまた別の民家があるのだろう
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1335 京の通り・富小路通 NO13 路地 鍛冶屋町
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
ホームページ ⇒ 長岡第8小学校http://www.kyoto-be.ne.jp/nagaoka8-es/cms/index.php?page_id=0
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1333 長岡京市 河川合流
次回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1338 長岡京市 道標長岡京0304
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1331 長岡京市 落合橋 小畑川
次回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1334 長岡京市 長岡第8小学校
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
鍛冶屋町 職業に関する町名 たくさんあります
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1332 京の通り・富小路通 NO12 石碑中0227 二条富小路内裏址
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
1から9までの数を1回ずつ使って次の🔲を埋めてください。
🔲🔲×🔲=🔲🔲×🔲=🔲🔲×🔲
パズル問題 前回の記事 ⇒ パズル問題041 覆面算 19÷2 = 🔲🔲÷🔲 = 🔲🔲÷🔲
前々回の解答 ⇒ 040 29×6=174
次回の記事 ⇒ パズル問題043 小町算 100作り
この地は,鎌倉中期に西園寺実氏(1194~1269)の邸宅の一つ冷泉富小路殿が営まれ,閑院内裏焼失(1259)後,後深草天皇(1243~1304)の皇居となり,その後も上皇・天皇の御所として頻繁に使われた。徳治元(1306)年火災後再建されないままであったが,正和元(1312)年鎌倉幕府から造内裏費用が献上されて平安宮内裏の殿舎構成に准じた里内裏が建設された。これが二条富小路内裏で,のち20年にわたり花園(1297~1348)・後醍醐(1288~1339)・光厳(1313~64)天皇の内裏となった。しかし建武3(1336)年建武新政崩壊による戦乱で焼失した。
二条富小路内裏址
寄附者京都市立商業実修学校有志者
大正五年五月建之 京都市教育会
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1329 京の通り・富小路通 NO11 お地蔵さんのお手入れ
次回の記事 ⇒ まち歩き中1335 京の通り・富小路通 NO13 路地 鍛冶屋町
石碑 前回の記事 ⇒ まち歩き中1325 京の通り・富小路通 NO8 石碑中0226 大炊御門万里小路殿
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
天正年間、この地域では米六百石を朝廷に納めており、また水不足から農民は貧窮していた。天正十年(1582年)、本能寺の変の後亀山城へ向かっていた明智光秀が、農民の願いを聞きここに川を引いたという伝説が残っている
小畑川は桂川と合流する下流域が天井川化している部分があり、台風などで堤防決壊や越流で多大な被害を出していた。記録の残る明治以降でも1885年(明治18年)7月の台風では勝竜寺と下植野の境界付近で破堤、浸水。のちに「大正大洪水」と言われた1917年(大正6年)10月の水害では下植野の松ノ木橋で1時ごろからあふれ出し、警戒していた青年団員も避難しその直後に破堤して下植野の大半が浸水した。
1935年6月の『京都大水害』では6月29日午前4時半に勝竜寺北東の堤防が決壊、勝竜寺と久貝の全部、神足の一部が濁水の中孤立した。午前8時半ごろには小畑川上流部でも破堤、西国街道は濁流と化した。負傷者4名、家屋の全半壊47戸、床上浸水291戸、水が引いた後は家も田んぼも泥の海と化した。ダメ押しに6月の被災から復旧途上の8月の2度目の水害で11日に前回と同じ場所が破堤した。
1953年(昭和28年)の台風13号では下植野の小畑橋の上流2か所で破堤、下植野では46戸のうちの40戸、久貝では20戸が浸水、水深は2m以上。また支流の犬川左岸が破堤して勝竜寺で28戸が床上浸水の被害を受けた。浸水被害の原因は淀川・桂川からあふれた水の逆流によるものだった。それを受け1966年(昭和41年)より小畑川と支流の犬川の内水反乱を防ぐ河川改修工事が開始されたが、工事中の昭和42年7月にも被災した。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1330 長岡京市 中山修一 記念館 長岡京発見者
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
1から9までの数を1回ずつ使って🔲にあてはまる数を求めてください
1、9、2以外の数をあてはめてください。
19÷2 = 🔲🔲÷🔲 = 🔲🔲÷🔲
パズル問題 前回の記事 ⇒ パズル問題040 覆面算 58×3 = 🔲🔲×🔲 = 🔲🔲🔲
パズル問題 前々回の解答 ⇒ 4×39 =156
仲間とともに遺跡の発掘現場で記念撮影する吉野彰(ノーベル賞受賞)さん(前列左から3人目) 右端は中山修一
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1327 長岡京市 古墳長岡京27 恵解山古墳(いげの山)
次回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1331 長岡京市 落合橋 小畑川
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
関連記事 ⇒ まち歩き下0043 お地蔵さんの掃除
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1328 京の通り・富小路通 NO10 夷川通 座敷机・専門店
次回の記事 ⇒ まち歩き中1332 京の通り・富小路通 NO12 石碑中0227 二条富小路内裏址
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
南方向を見る
お座敷机 専門店 とある
東方向を見る
店の陳列品 中古の つるべの滑車
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1326 京の通り・富小路通 NO9 民家
次回の記事 ⇒ まち歩き中1329 京の通り・富小路通 NO11 お地蔵さんのお手入れ
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
史跡 恵解山古墳
乙訓地方 最大の前方後円墳 鉄製武器が700点出土
山崎合戦 ここに光秀が陣を構えた可能性がある
鉄製武器の出土した状況
葺石を復元
関連記事 ⇒ まとめ055 古墳
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1324 長岡京市 サントリー 京都ビール工場 工場見学
次回の記事 ⇒ まち歩き長岡京1330 長岡京市 中山修一 記念館 長岡京発見者
古墳 前回の記事 ⇒ 古墳向日26 南条古墳
次回の記事 ⇒ 古墳城陽28 久津川 車塚古墳
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1325 京の通り・富小路通 NO8 石碑中0226 大炊御門万里小路殿
次回の記事 ⇒ まち歩き中1328 京の通り・富小路通 NO10 夷川通 座敷机・専門店
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
大炊御門万里小路殿は,平安京左京二条四坊十一町にあった但馬守源高房(?~1077)の邸宅。後三条天皇(1034~73)は,延久5(1073)年病を得てこの邸に行幸,この地で崩御した。のちに中納言源能俊(1071~1137)の領となり,白河法皇(1053~1129)は仮の御所とした。鎌倉末期には里内裏として度々利用された。この石標はその跡を示すもの。
右側面 白河天皇ノ内裏
富有同窓会
紀元2600年
関連記事 ⇒ 御所の位置
前回の記事 ⇒ まち歩き中1323 京の通り・富小路通 NO7 寺院中0723 東漸寺
石碑 前回の記事 ⇒ まち歩き中1319 京の通り・富小路通 NO4 石碑中0225 富有小学校碑
次回の記事 ⇒ まち歩き中1332 京の通り・富小路通 NO12 石碑中0227 二条富小路内裏址
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
1から9までの数を1回ずつ使い、式を完成させてください。
5,8,3の残りの数を使ってください
58×3 = 🔲🔲×🔲 = 🔲🔲🔲
前回の記事 ⇒ パズル問題039 覆面算 78×2 = 🔲×🔲🔲 = 🔲🔲🔲
前々回の解答 ⇒ 038 上から1段目 左から 13、3、2、16
上から2段目 左から 8、10、11、5
上から3段目 左から 12、6、7、9
上から4段目 左から 1、15、14、4