堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

語感の辞典・岩波書店

2010年12月18日 | 日記

 岩波書店から「語感の辞典」という本が出た。
 言葉の使い方は結構難しい。同じような言葉でも感じが異なる。同じ文章で、特に短いものでは、同じ言葉を繰り返したくはない。
 それぞれの言葉の持つニュアンスの違い、例えば「聴く」と「聞く」の違い、「見る」と「視る」の違いなどである。これらは語感の違いなのか言葉そのものの意味の違いなのかは分からないが微妙に違う。
 文章を書いていて間違えてしまったり、分からんくなってしまう。
 忘年会の始まる前の時間潰しで入った本屋の店頭でこの辞典を目にした。
 家には子供たちが高校の時に使ったものしかない。
 手元に置けば便利だとも思ったが、今使っているのでも十分ではないか、荷物にもなるとも思い買わずに店を出た。後日、たぶん買うことになるだろう。

 辞典では古い思い出がある。
 小学校6年の時、漢和辞典を買った。
 三省堂の「新撰漢和辞典」である。本文が1044頁、索引等の付録が110頁の小学生が買うには相当本格的なものである。
 初版が昭和12年、改訂版が出たのが昭和24年というもので、私が買ったものは昭和28年改訂版の第8版であり、多分、小学校6年の時に買ったのだから発売間もないもであったのだろう。
 今でも、明治、大正、昭和初期に書かれた本を読むときには大いに役立っている。現役の辞書である。
 定価は700円、今の金額でいくらかは分からないが、昭和20年代としては、また、小学6年生としては相当高額であったと思われる。
 この辞典を買ったのは、私が小学校6年の時、今放映されているテレビドラマ「坂の上の雲」で、正岡子規が患ている病と同じ脊椎カリエスで学校を休み自宅療養している時であった。
 同級生は、小学校生活で最大の楽しみであった日光への修学旅行に行っていた。
 私は、修学旅行の代わりの思い出と記念にとこの辞典を買ったのである。
 修学旅行と言っても今の子供たちとは、その受ける感じは全く違う。現在は旅行など日常茶飯事だが、終戦間もないころでは、ホテルは言うに及ばず、旅館などに泊まった経験のある子供たちは皆無に等しかった。正に一生の思い出である。
 それに匹敵する何かをしなければと思ったのであろう。
 

 私の場合幸いに発見が早かった。
 当時、薬物等による治療法はなく、石膏で作られたチョッキのように上半身全体を覆うギブスを着用し脊椎を固定するだけであった。
 幸い、自覚症状は全くなく通常の生活ができた。
 ただ、激しい運動はできなかった。
 娯楽もなく、暇を持て余していた。
 当時、今の柴崎学習館の所に都立の図書館があった。
 知り合いの大人の人と行ったのがきかっけで、よく行った。テレビのない時代だったので、絵や写真の載った本で珍しい動植物や世界の風俗など興味を持って読んだ。
 従って、読書傾向は図鑑から捕り物帳、シートン動物記、ファーブルの昆虫記、日本文学名など乱読である。
 手あたりしだい読んだ。
 休学したのは小学校の6年の初めから中学1年で2年間であった。
 学年は中学1年でも、実力は小学校5年生のしかないわけであるのでとても無理な本もあった。
 ショーロホフの「静かなるドン」などは名前が混乱して分からなくなってしまったのを覚えている。確か、全巻読破はならなかった思う。
 その傾向は復学してからも続き、中学の教師を親に持つ友達に森鴎外を薦めたところ、中学生の読む本ではないと指摘されたのも思い出である。
 ほぼ2年間、親を含め、誰からも勉強を強要されず、自由奔放に本を読めたことは我が人生において極めて貴重なものとなった。
 「新撰漢和辞典」買った時は、全く意識しなかったが、本を読む中で大変に役に立ったのも事実である。

 余談だが、立川市では図書館の中央館が建設されたのは他市に比べ極めて遅い。
 一般には、中央館が最初に出来、その後地区館が建設されるという順であるが、立川は逆で、最初に地区館が整備され、最後に中央館が、北口の再開発に伴って実現した。その建設の経緯には様々あるが、駅直近に出来たことは、立川市の多いなr財産となったことは間違いない。
 その理由の一つが都立の図書館があったということである。
 私にとって、図書館・中央館の建設は議員生活最初の仕事であり、図書館行政が一つのライクワークとなった。
 これも子供時代の体験に起因するものかもしれない。
 


子育ての退化?

2010年12月17日 | 日記

 今日の毎日新聞の「余禄」に、法制審議会で決まった、親権停止制度の創設に当たって議論された、親権に含まれるの懲戒権を論じる中で、江戸時代に出島に来た医師の次の文章を紹介している。
 
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供を鞭打つことはない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどない」
 当時、西欧の国々では家庭でも学校でも子供のしつけや教育に鞭を用いていたという事と比較している。

 以前にも触れたが、中江和恵著「江戸の子育て」でも、江戸から明治初期に来日した外国人から見た日本人の子育ての様子が紹介されている。

 明治初期に来日した英国女性イサベラ・バードは日光から手紙で「私はこれほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない」と。

 大森貝塚を発見した米国人モースは「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」とも記している。

 幕末にイギリスの初代公使として来日したオールコックは「赤ん坊はいつも母親の背中に負ぶわれているが、父親が子供を抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた光景だ」と書いている。

 長崎出島のオランダ商館に勤めていたフィッセルは「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であると考えている」更に「子供たちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手で打つことなどとてもできないくらいである」と綴っている。

 だからと言って、躾が甘かったわけではない。

 児童虐待が躾を理由に・口実にして児童相談所等の介入を阻止している。そこで、親権のはく奪や停止が必要となるのである。
 親権の停止や剥奪をしなければ子どもを守れないというのは何ともやりきれない気がする。
 その原因は様々あリ、それを取り除くことが解決の根本だであろうが、地域が行おうとすれば、極めて困難である。
 せめて、兆候を見抜き児童相談所等に通報することが地域でできることであろう。
 子供たちが安心して過ごせる地域としていきたいものである。

 余談だが、「子ども」なのか「子供」なのかふと迷ってしまった。
 私は、以前は「子供」と書いていたが、青少年の健全育成に関する文書を見て「子ども」と書かれているのを見て、いまわ殆ど「子ども」と書いている。
 ところが、毎日新聞の余禄には引用文以外の本文でも「子供」と書かれている。
 どちらが適当なのか不安に感じた。
 後で、その使い方について調べてみたい。


武士の家計簿

2010年12月16日 | 読書

 今、「武士の家計簿」という映画が上映されている。
 堺雅人、仲間由紀恵が主人公の猪山直之夫婦役を演じている。時代劇版ホームドラマという感じである。

 江戸時代にはいろいろな面で興味がある。同時代の外国の他の都市に比べ、町民の人口密度は世界一であったにも拘らず、清潔でエコな生活を送っていたとか。町民である一般市民の識字率も高く、教育も行き届いていたとか、父親の育児へのかかわり方も素晴らしかたっとかである。

 「武士の家計簿」(新潮新書)は著者の磯田道史氏が神田の古本屋で15万円ほどで買い求めた猪田家の36年分の家計簿ともいうべき「入払帳」を中心とし、書簡などを基に書かれたものである。
 言ってみれば、幕末から明治に至る激動の社会、経済状況の中を生き抜いた武士一家の生活の歴史である。

 余談になるが、手書きの家計簿は裁判での有力な証拠となる。後に書き換えることが困難であり、生活を生々しく表しているからである。例えば、領収書を紛失してしても、家計簿に記載されていれば、支払ったことの証明となりうる。

 本来、映画化には不向きと思われる日本社会経済史の著作がホームドラマ的に映画化されたのも、家計簿とも言うべき、36年間にわたり克明に記載された「入払帳」を基にしているからである。
 映画は映画として面白いであろうが、本を読めば、また、独自の想像が膨らみ興味が湧くであろう。

 
 同種の本を買ったことを思い出し、本棚を見た。
 
同じく新潮社から選書で、時代物作家として定評のある小松重男が書いた「旗本の経済学」が出てきた。
 この本は、やはり徳川将軍直参の御庭番筋の旗本川村修富(ながとみ)の残した「萬融院様御手留」という古文書を基に書かれている。
 この古文書は川村家が代々守り通し、現在、新潟市郷土資料館にある。

 「萬融院様御手留」は川村修富が58年間にわたり書かれた備忘録のようなものである。
 その内容は、修富の出世や職務内容、当時の経済状況や家計の遣り繰り大奥の仕来りやマル秘事項等である。
 推理や推測を極力避け忠実に原文を再現しているところに、小説的な面白さには欠けるが、逆に、事実をより正確に理解することに依って想像の楽しみは倍加する。
 
 


倫理規範と法規範の違い

2010年12月15日 | 日記

 小沢元民主党代表をめぐるニュースが報道されている。
 事の善悪、正邪を論じるつもりはないが、小沢擁護派の発言に気になるものがある。

 人が世の中で生きていくためには守っていかなければならない決まりごとがある。それが規範と呼ばれるものだと思う。

 小沢問題で言えば、問われるのは倫理規範と、法規範である。

 法規範は厳格なものである。
 特に、刑事法においては個人の人権と冤罪を考えさまざまな基本原則がある。

 余談だが、刑法の歴史において有名な事例がある。電気窃盗事件である。
 電気をメーターを通さず家に引き込み、無断で使用したという事件である。判決は無罪であった。
 その理由は、刑法では、窃盗の定義を「財物を窃取」とし、更に「財物とは有体物を言う」としていた。
 電気は姿形がなく、有体物とは言えない、従って、刑法に言う窃盗罪には該当せず無罪であるという結論に達した。
 その後、刑法が改正され電気窃盗は有罪となる。
「罪刑法定主義」という原理である。
 
電気窃盗の犯人は無罪となったからと言って、その行為をだれも是認できないである。

 近代刑法におけるもう一つの重要な原理に「証拠主義」がある。推理小説によく登場する「完全犯罪」とはアリバイも含めて完全な形で証拠となるものを隠滅した犯罪である。端的に言えば、犯罪の事実はあっても、証拠が皆無であれば、裁判上では無罪であり、犯罪そのものが無かったことになってしまう。

 冤罪を証拠の関係で言えば、証拠のねつ造であり、改ざんで、その捏造され、改ざんされた証拠に基づいて裁判が行われ、本来無実であるにもかかわらず有罪となったものである。

 本来有罪である人かかわらず無罪となる事例は枚挙にいとまがない。

 今回の事例でも検察が不起訴とした理由は、おそらく、検察が持っている証拠では不十分で、有罪を勝ち取ることが不可能と判断し、不起訴処分にしたものと思われる。公判維持が極めて困難な事件は検察は、初めから起訴しない。
 従って、強制起訴された今回の場合でも、組織も権限も検察より数段劣る弁護士が検事役を引き受ける裁判で有罪となることは極めて困難であろう。最初から無罪が分かっている裁判と言ってよい。

 以上は、小沢元代表が実質的には有罪だが形式的に無罪だった場合である。

 では、実質的にも、形式的にも法に触れていなければどうであろうか。
 そうであれば許されるのであろうか。

 そこで、規範の問題が出てくる。

 民主党の小沢擁護派の発言で気になるのはこの点である。
 つまり、規範意識の問題である。

 このことは、単に政治の面だけではないからである。
 今、青少年の規範意識の低下が社会問題となってきている。先日、ここでも触れた「万引き」の問題である。
 万引きが増えていることも問題だが、子ども達が、借りたものを返さないなどの犯罪を構成するようなものではなくても許されないものに対する罪悪感をなくしている。つまり、倫理規範意識の低下である。
 この倫理規範意識の低下が、少年犯罪の増加につながっているのである。従って、教育現場や地域では子どもたちの規範意識の向上に日夜努力しているのである。

 正に、小沢問題は政治家の倫理規範意識がどうであるかが問われているのであり、政倫審はまさにその処を問題にする場所であり。裁判で無罪になれば何をやってもいいという論調はとてもいただけない。
 裁判で白黒つければよいという、倫理規範などはどうでも良いと言わんばかりの発言には唖然とするしかない。
 人が社会で生きていく上で最低限守らなければならないのが法規範で、人が人ととして生きていく上で守らなければいけないのが倫理規範である。
 法規範と倫理規範の区別がつかない人は、中学や高校の倫理の授業を受けなおしてもらいたい。

 地域で青少年の健全育成に励むものとして、模範となるべき国会議員の発言としては許しがたいものである。
 勿論、政治の場でのことであり、政争の具として汚く使われることを恐れての態度もあると思うが。
 政治と金の問題、国会での真摯な議論を望む。


志(こころざし)

2010年12月14日 | 日記

 地域のボランティア活動、ボランティア組織にについて考えていた時ふと思いついたことがある。
 それは、先日或るテレビ番組で鹿児島の中学生を相手に授業をしていたものである。
 内容は明治維新
の立役者である、西郷隆盛と大久保利光についてである。

 鹿児島では、圧倒的に西郷隆盛のほうに人気がある。

 西南の役で、大久保が西郷・鹿児島に兵を向けたことに大きく起因します。現に、西郷の銅像は多くありますが、大久保の銅像は皆無に等しい状況です。
 当然に中学生の間でもそうであった。
 様々な話の後、大久保が凶刃に倒れた時、懐に西郷からの手紙をお守りおように持っていたとの話がった。
 それは英雄のみ英雄の心を知るということだと思います。

 ともに、明治維新を戦い、古い幕藩体制を打破し、西洋列強に負けない、強い近代国家を建設しようという思いは共通だったということでしょう。
 ただ、その目的を達成するための、手段や方法、戦略や戦術が異なったことが悲劇を生んだのでしょう。

 その授業の中で語られたのは、西郷と大久保は志を同じくし、強い共感をお互いに感じており、心の中で同志としての絆があったということです。
 授業の中で、夢について問いかけられました。夢も、単に~になりたいではダメである。~のために~になる。世界平和を建設するために語学を学ぶであれば、世界平和建設が志であり。夢は常に志を伴わなければならない。志を伴わない夢ははかないものに終わってしまい、単に個人の願望にしか過ぎないと。

 個人主義の強い現代、利己主義者ではなく、いい意味での個人主義者でも志などというと古いという人が多いが、現在の様々な社会問題もこの辺に原因の一つがあるのではなかろうか。
 これは単に個人だけではなく、広く団体・組織にも言えることだと思う。


拾った100円ライター

2010年12月13日 | 日記

 昨日、町会の会館とその敷地続きにある錦六公園の大掃除をした。その時、公園で使い捨て100円ライターを拾った。
 ベンチの傍にはタバコの吸い殻が数本落ちていた。
 日常的にベンチでタバコを吸っている大人を見かける。
 そのうちの誰かが落としたのだろう。
 立川市では全市的に歩行禁煙になっている。公園は禁煙になっていないのでタバコを吸うこと自体は問題がないのだろうが、吸い殻の始末ぐらいはしっかりしてほしい。

 この公園では電話ボックス備え付けの電話帳を引きちぎって火遊びをするという事件が発生した。
 誰がやったのか、何歳ぐらいの人間なのか性別についても分かっていない。
 ある学校で行動に面した校庭に落ちていた使い捨て100円ライターを使って火遊びをしているうちに棕櫚の木に燃え移るというボヤ騒ぎが起こった。

 使い捨て100円ライターを子供が使っての事故が多発した。
 今では、「子どもに危険」というシールが貼ってある。
 タバコを吸う家庭では、ライターが家の中にゴロゴロしている。安価なため、忘れるたびにコンビニ等で買いたいていの喫煙者は複数所有しているものと思われる。従って、管理が甘くなる。
 それを戒めたものがシールであろう。小さな子どもを持つ喫煙者は、ライターの管理に気を付けなければならない。
 ちょっとした不注意が大事故、大事件を発生させてしまう。

 青少年の喫煙も非行の始まりであり、犯罪の入り口でもある。地域の大人たちが団結して見守っていかなければならない課題であろう。
 大事の始まりは必ず小事からである。

 先日、青少健と自治連錦町支部が共催で防犯講習会を行った。
 テーマは「万引き」を中心に行った。
 万引きは軽微な犯罪と軽視されがちだが、喫煙と同様非行の始まりであり、重大犯罪へと青少年を導く入り口ともなる。
 万引きもスリルを楽しむとか集団心理で些細なことから始まる。
 しかし、それが次第にエスカレート罪の意識が希薄になったりして深みにはまっていく。

 万引きは窃盗の一種であるが、事と次第や成り行きで重大犯罪に発展してしまうこともある。
 講習会で一つの事例が紹介された。
 安価な駄菓子「ジャガリコ」万引きした少年が、それだけなら軽微な犯罪で済んだが、発見した女性を、逃げようとして引き倒し、怪我を負わせてしまった。
 結果として、事後強盗であり、強盗致傷罪という重大な凶悪犯罪となってしまった。


金沢市長選・・・ネット選挙

2010年12月12日 | 時事

 昨日は立川三小の放課後子ども教室・さんさんクラブで午前午後の2回フットサル教室を開いた。
 講師には少し贅沢だが、フットサル界のカリスマ的指導者と言われる眞堺名(まじきな)オスカーにお願いした。
 指導力は当然として、子ども達との接し方も素晴らしいものがあった。
 副校長をはじめ先生も参加した。子ども達にとって思い出の一日になったと思う。
 夜は、地域の町会の会館でささやかな忘年会を兼ね、一献傾けた。

 話は一転するが、昨日、金沢の市長選があり、新人の山野之義氏(48歳)が接戦を制し、1,364票差で現職の山出保氏破り当選した。
 現職の山出氏は全国最多タイの6期目を目指したこと、79歳という高齢であること、各党相乗りなどの理由もあったが、投票日当日も行われていた、ツイッターによる投票依頼が功を奏したのではないかと言われている。
 金沢市選挙管理員会は再三書き込みを中止するよう電話したそうだが、これを無視、県警は警察庁と相談したが、公選法違反の警告はしなかったとのこと。
 公選法の改正は鳩山退陣劇のドタバタでできずじまい。ネット選挙解禁は間近であることは確かである。
 来春の地方統一選挙に今回の金沢市長選は必ず影響を与えるであろう。

 ネット選挙は様々な面で利点があることは間違いない。
 議員の日常的なネットを利用した広宣活動は常識となっているが、全体の議員数から見ればまだ少なすぎると思う。
 また、内容的にも面白くないものが多すぎる。

 ただし、今回の金沢市長選のツイッターの利用は、正に騒々しい、従来の選挙終盤戦の連呼とあまり変わらず、ただ単に騒々しいだけで、候補者選択のための判断となる情報とはとても思えない。
 毎日新聞が言うように地上戦と空中戦の違いとしか言えない。
 選挙戦術が上手いだけで当選してしまったのでは、最終的に不幸になるのは市民である。そこのところが、近頃の選挙の恐ろしいところである。 

 公選法はあまりに禁止事項が多く、公選法を厳守し、脱法的なことをやらなければ選挙はできないとさえいえる。
 ネット選挙解禁も重要だが公選法の抜本的改正が必要である。今回問題になったツイッターへの書き込みは、公選法が配布を禁止する「文書図画」に当たるとされる。ちなみに「図画」は「ずが」とは読まず「とが」である。公選法はことほど左様に古いのである。

 政策や候補者本人を語るという点で、文書違反の範囲をもっと緩和すべきである。時代的気分で、ネット選挙解禁だけであれば不十分と言わざるを得ない。特に、戸別訪問の禁止は日本だけの特殊なものである。これを解禁しないということではならないと思う。


ユリノーム錠、クレストール錠

2010年12月11日 | 日記

 昨日、血液検査の結果を聞きに病院に行き、ユリノーム錠とクレストール錠を処方してもらった。

 7月の下旬、祭りの夜宮の日に右足親指の付け根に痛みを感じた。昨年の4月に初めて痛風を経験したので、また来たかと思った。
 翌日からが本番の祭りなので、何とかしなければと思った。同病の夫を持つ女性から鎮痛剤をもらって飲んだ。お陰様で激痛からは解放され、祭りを無事終わることができた。しかし、酒無しの祭りとなってしまった。
 週明けに同じ薬のほうが良いと思い、その薬を処方してくれた病院に行った。ところが出してくれた薬は違っていた。私がその薬を飲むに至った経緯を説明したにもかかわらず、薬の種類は違っていたのである。同じ痛風なのに違う鎮痛剤なのはその理由が分からない。その分けは聞かなかった。

 最初に痛風になったときは、痛みがおさまった後は、治療薬を出された分だけ飲み、痛風以外のことは何も言われなかったので、通院は止めてしまった。
 今回は、誕生月検診を合わせて受けることを薦められた。医者嫌いで、健康診断は今だ受けたことはなかった。
 従って、通常の血圧もわかっていなかった。
 酒は365日、毎晩12時近くに飲む、肴は当然少量といえども食べる、タバコは吸う、生活習慣病で身体は相当
いたんでいると思っていた。それらを危惧して、定期検診を受けるのをためらっていたのかもしれない。
 古希も近いことだし、長生きするには、少しは体のことも考える時だとも思い、検診を受けることとした。

 検査の結果を見ながら最終的に。先月から、痛風への対応は当然として、コレステロール対策をとることとした。
 昨日の結果では尿酸値もコレステロール値も正常である。
 薬の効果は当然として、日常生活でも、酒を飲む回数をほんの少し減らすなど、少しは気を付けるようになった。

 その時処方されたのが、ユリノーム錠とクレストール錠である。
 今は便利で、薬についての情報はインターネットで知ることができる。主な副作用、適応する病名、もちろん、素人が的確な判断ができるわけわはない。単なる知識として知っているという安心感を得るだけであるが。
 
 


「宜しく」お願いいたします

2010年12月10日 | 日記

 12月に入りそろそろ年賀状の準備をしなければならない。
 ここ何年間か、元旦に着くように出したためしがない。今年こそはと思っている。
 来年は私も「人生七十古来稀なり」と中国の詩人杜甫が詠った、古希である。
 中学時代の友人をはじめとし、多くの人と賀状の交換をしているが、少し遠方の人とは年始の便りだけが無事のしるしで会わざること久しい。
 年賀状も型どおり、PCでプリントアウトしたものを機械的に送ってきたが、今年は早目から準備し、それぞれに一文をかけ添え、旧交を温める機会にしたいとも考えている。

 年賀状と言えば、「本年も宜しくお願いいたします」という言葉を常套句としてよく使う。
 森本哲郎もその著「日本語の表と裏」の冒頭この「よろしく」という言葉を取り上げている。
 森本はポルトガル人の宣教師ルイス・フロイスの著作を引き、言葉の明瞭さと曖昧さに西洋と日本の違いを述べている。
 その曖昧な言葉の代表として「宜しく」を挙げている。

 確かに年賀状だけの付き合いになってしまって久しい人から「本年も宜しく」と言われても、「何を宜しくすればよいのか」曖昧な言葉に本来戸惑ってしまうはずであが、賀状をもらった嬉しさと懐かしさからなのか、せめて年賀状の交換で末永いおつきあいをと善意に解釈する。確かに、合理的に考える西洋人からすれば奇異な感じを受けるかもしれない。

 日常的にも「宜しく」は使う。
 案内や依頼文には、私もよく使う。
 様々なことをお願いするが、最終的にはあなたのご意志にお任せします。相手を立て相手の判断を尊重する。
 「私としては是非ご出席願いたい」が、「あなたもお忙しいし、他にもっと大事なことがあるかもしれないので、出欠の有無はあなたの判断にお任せします。」ということだろう。これも日本人的なものの考え方、意志の伝え方かもしれない。

 

森本は、相手の意志や判断を尊重する言い方だが、責任を相手に転嫁する使い方や場合によっては慇懃無礼な場合もあるというが、責任転嫁については分からないではないが、慇懃無礼についてはその用法を思い出せない。

                 


ローカル紙・・・資料収集

2010年12月09日 | 日記

 先日たまたま川内原発3号機の増設に関し薩摩川内市議会で住民投票を問う直接請求が否決されたという記事を南日本新聞で見た。
 名古屋市での河村市長と議会との対立による議会解散を求める住民投票、阿久根市でのやはり議会と市長との対立に起因する市長のリコールなど、首長、議会、住民とが関係する地方自治体の問題が起こっている。
 住民が自治体の行政に物申すことができるもう一つの制度として直接請求権がある。直接請求権とは住民が事の是非を問う住民投票を行うための投票条例の制定を地方議会に求める請求である。
 このことは、今の地方自治に住民(市民)、議会、首長(行政)のいずれの側にも問題があることを示しているものと思われる。
 今日は、このことには触れず、別の機会に譲りたい。

 名古屋市と阿久根市につてはその経過の中で全国的に、新聞やTVで取り上げられた。
 直接請求も関連する問題なので近頃の事例はないかと考えていた。
 しかし、薩摩川内市の場合はそれほどではなく、知ることができなかった。
 そこで、ネットで調べたところヒットしたのが南日本新聞である。南日本新聞は鹿児島県に本社を置く新聞社である。

 約30年位前資料収集に苦労していたころを思い出した。今のようにインターネットはなく、全て紙ベースの資料しか無い。行政資料などはその該当する行政区域内にしかない。それを探し出すのは至難の業であった。その地に行くしかない。
 東京都の市や町については主要な課題については東京都がまとめ、印刷物として発行していた。従って、一番そろっている都庁の資料室は格好の情報源であった。
 しかし、毎回行くのも大変であり、調査漏れがあれば再度いかなければならない。
 ある日、図書館についての質問をするための準備をしていた時、市政図書館の存在を知り、日野市が市役所内に優れたものを持っているということが分かった。以来、まず日野市に行き調査し、そのうえで都庁に行った。大変に効率が上がったのを覚えている。
 立川市でもと思ったが、手狭な旧庁舎では無理なので、新庁舎建設の折にはと期待していたが、残念ながら貧弱な資料室しかない。

 東京都の場合はよい、地方都市の先進事例を調査する場合はどうかと言えば、行くしかない。そこに視察の必要性が生じる。直接行って、話を聞き、資料を頂いて来るしかない。従って、帰りの鞄は三市も回ると一杯になり、その重さに閉口したものである。
 都内の自治体の場合は日野市で事前調査を行い都の資料室で再度調べるということができたが、地方都市の本当に先進的・先駆的事例はその情報が限られており、専門誌や新聞でその一角しか知ることができない。
 正にそこに行くしかなかった。

 PCも次第に進化した。
 そこで登場したのが、パソコン通信である。
 パソコン通信と言っても知っている人はあまりいないのではないでしょうか。
 パソコン通信会社--当時の大手業者は富士通のNIFTY SERVEとNECのPC-VAN--と直接電話回線で直接つなぎ、会員登録が必要であった。
 サービスの内容はメール、掲示板、ファイルアーカイブ等であった。
 その時使ったのがニフティーの新聞記事検索である。もちろん有料で、1字幾らというものであった。
 従って、あまり重要でないと思われる記事はタイトルとリードだけダウンロードした。

 全国紙から地方紙まで相当の数の新聞の記事検索ができた。
 そこで初めて地方紙と出会った。全国紙であまり詳しく報道されていなくとも地方ではそれなりの関心があり、それなりの記事である。
 特に、地方というには失礼にあたるが、名古屋・中部の中日新聞は名古屋・中部に関する記事では他の全国紙を圧倒している。
 現に、立川市で中学校給食を推進した時、類似の方法で実施している名古屋市を視察した時中日新聞は大いに役に立った。

  地方紙と言っても何紙かあり、それなりに論調が異なり比較検討もできる。
 今回の川内原発の増設、直接請求についても、南日本新聞、西日本新聞の両方を見た。
 そらの地方紙の記事を読み、視察に値するかどうかをも含め検討し、事前の準備をした。
 余談だが、地方紙には歴史と伝統と独特の気質があり大変に個性のある新聞がある。残念ながら名紙の中には資本量に押され廃刊されたものも多い。私の思い出の新聞では秋田魁新聞などである。
 立川市の図書館にも数紙置いてあるので一読することをお薦めする。

 さて、現在はネットの時代である。情報はあふれている。玉石混交の情報の中から質の高い有益な情報だけを集、何を調査すべきかを考え、質問を体系的にまとめ、事前に質問事項をA4一枚程度にまとめ、追加の資料要求も含め送っておく。当然事前に読んだ資料名は知らせるようにする。
 用意周到な自治体は、それらを基に回答書を背本誌、資料を揃えて待っていてくれる。
 視察を受ける側も、こちらの理解度もわかり、的確な説明で、視察も効率的・効果的にできる。
 視察報告書も当然充実したものとなる。

 視察は議会改革の重要な要素であると思う。
 視察の目的、その自治体を選んだ理由、特にその市でなければならない理由、参加者名、視察報告書本体を市議会のホームページで公開すべきである。

それを前提に、議員の人格向上に寄与するようなその地ならではの楽しみ方もある。