堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

ウィキリークス事件・・・・国民の知る権利

2010年12月08日 | 時事

 ウィキリークスの代表が別件逮捕された。
 膨大な量の機密文書をネット上に暴露して今や話題騒然である。
 外交交渉の裏側や密約に関するものが明らかになれば影響は計り知れない。今回の事件の真相はどこにあったのか、原因は何なのか早急に明らかにすべきである。
 国や地方自治体のセキュリティーの問題も改めて検証すべきである。

 同時に、権力者や為政者は主権者である国民に真相を明らかにせず、ことを運ぶ例も多い。
 特に、国民に表明している原理原則に相反するようなことであっては問題である。
 かつての沖縄の「密約」事件はその顕著な例である。

 「尖閣列島」における船長の釈放の問題についても、検察主導の司法的解決だったのか、政治主導だったのかは、その間のやり取りが明確にならなければ国民には分からない。つまり、隠された情報だからである。
 ウィキリークスの事件は法の下にある世界では絶対に許されるものではない。
 
しかし、自分に都合の悪い情報はひた隠しに隠すということはあってはならない。
 正に、国民には知る権利があり、為政者には情報を公開するという義務があるからである。

 ウィキリークスの事件にどこかで共鳴を覚える感じもなくはない。
 今のマスコミに対する不満が心のどこかでくすぶっているからではないだろうか。自らの必死の取材で国民の知りたいことを報道するのではなく、単に、記者会見等で発表されたものだけを記事にしているという現実に。
 昔は特ダネやスクープを必死に追いかけ、他社を出し抜くことに生きがいを感じていた記者も多かったのではなかろうか。
 国民が本当に知りたいことをマスコミは伝えていないのではなかろうか。


市議会で何が行われているのか

2010年12月07日 | 地方自治

 立川市議会のインターネット中継が始まった。
 他市から比べてかなり遅いスタートである。
 新庁舎の建設にあわせてということであろうから止むを得ないことだと理解している。
 インターネット中継の利点は、まず、リアルタイムであるということである。議員の発言と市側の答弁が質問通告一覧と合わせて見ることによりいち早く知ることができるという点にある。
 次に、活字の議事録と異なり、議員の質問や追求、市側の答弁の態度等がリアルに知ることができるという点にある。

 しかし、一般質問であれば、約1時間画面を見なければならない。忙しい人にとっては、苦痛である。
 過去の経緯や他の議員の発言、理事者の答弁等を参照しながら全体感をつかむのには現時点で行われているやり取りだけではできない。
 会議録全体を精査しなければならない。

 しかし、会議録が掲載されるのが相変わらず遅い。

 議会のインターネット中継を見たついでに久しぶりに会議録を開いた。
 3年目を迎えた放課後子ども教室について、平成19年に始まり、21年5月に20校全部で開設されたので、平成22年の放課後子ども教室に関する一般質問、予算・決算特別委員会の会議録全部を見てみた。
 一番最初に始めた地域・学校はすでに3年経過している。ほぼ軌道に乗り、問題点や課題も見えてきている。
 私は一つの事業は約3年サイクルで変わっていくべきであると考えている。事業の展開の中で中心的に役割を果たしている人たちも変わっていない。固定観念が生まれだす時期でもある。そこで新たな展開が要請される。もしそうでなければ、事業のマンネリ化が進行する。
 新しい風が必要となる。
 一方、後発の地域・学校ではそれぞれの課題を抱えながらの大変な中での出発であると思う。
 しかし先進地域の経験を生かすことも可能であろう。代表者会議が年2回開催されており、情報交換の中でそれなりのヒントも提示されている。
 代表者会議の持ち方も3年を経過した。その在り方も検討の時期に来ているのではなかろうか。

 そこで一番大事なことは放課後子ども教室の本来の役割、使命を再確認する必要があるのではなかろうか。地域の特性や中心者の考えの違いが、3年を経過する中で現れだしているのではないでしょうか。
 子供たちの幸福を考え実施すべきであり、大人の独りよがりで物を運ぶべきではない。

 その意味で、会議録を読んでみた。
 残念ながら、断片的な質問だけで、体系的なものはなく、本質に迫る議論は発見することはできなかった。
 行政の答弁も単に質問に答えるだけで、立川市の理念や考え将来に向かっての方向性は示されていない。
 多くの市民の協力がなければできない事業である。市は議会答弁を通して強く事業の意義を語るべきである。

 議会改革に通じることではあるが、開かれた議会、風通しの良い議会を目指して何らかの手段をとるべきであろう。
 議会の対応も大事であるが、市民がもっと議会に関心を持つべきである、議員の本分は議会活動である。
 しかし市民の反応・評価は会合やイベントに顔を出すとかよく回ってくるとか腰が低いとかである。
 勿論、議員が市民の身近にいることは問題点を把握し、議会を通して行政を変えていく上で大事なことではあるが。

 


64ビットパソコン

2010年12月06日 | 日記

 現職引退の半年前に買ったPC様々な面で限界。
 年齢から言って、本格的なPCも今回が最後だろうとウィンドウズ7で64ビットにした。
 少し頑張ってみた。メモリー8G、ハードデスクは1Tの外付けがあるので500G。
 ウインドウズ7もプロフェッショナルにしたので、ソフトもそこそこ使えると思ったが、結構トラぶっている。アクロバットはインストールできなかったが、フリーソフトで何とかしのげそう。イラストレーターは動くことは動くが色の調子が。今持っているのはCSなのでバージョンアップもできない。
 ゴーライブCSはインストールもできず。
 AⅠ囲碁は買う時に7で動くことを確認して買ったが、インストールできたが動かない。よく見ると7(32ビット)とあった。止む無くビスタで使う。

 チラシや広報関係はインデザインCS3を持っていることは持っていたがほとんど使っていなかったが、イラストレータからこの際思い切って乗り換える。
 ゴーライブは販売中止になったときドリームウィーバーを買っておいたのでこれを使うこととした。
 ともに、色々なことを考え、乗り換えるつもりで買ったのだが、日常の忙しさでついつい使い慣れたもので済ませていた。
 いざとなれば何とかなるものだと痛感した。人間追い詰められないとなかなか前に進めないものだ。

 地域のHPも昨年度から今年度にかけてリニューアルしたばかりで、ドリームウィーバーへの乗り換えはきつかったが何とかなった。
 今は情報量も少なく極めて貧弱だが、ゴーライブで作ったファイルもそのまま使えるので古い情報も載せようと思ったが、地域の情報発信基地としての意味から新鮮なのが良いと思い止めた、これからも情報収集に頑張っていきたい。

 立川全体でも町会・自治会の組織率は低く一般的に無関心である。加入者の中でも活動に参加している人もまた少なく単に会員であるという人が多い。
 安全安心の町づくり、地域文化の創造、少子高齢社会への対応、行政との協働社会の構築等主体的市民の活躍が要請される中で、現実は逆行している。
 これらの課題に対応するために情報の共有、それに応えるための情報発信は必須の条件であると思う。

 皇帝ダリアの咲く季節になった、昭和記念公園に咲いているという話だが、諸事多煩のため紅葉も見に行けなかった。
 まだ正月は行ったことがないので来年はとも思っている。近間で間に合わせた。

              


日本語の表と裏

2010年12月05日 | 日記

新潮文庫「日本語 表と裏」(森本哲郎著)を読み始めた。

日本語には以前から興味があり、類似の本も何冊か読んでいる。

 自分でも依頼文や広報紙、HPなどの文章を書いている。その時、間違ったものの書き方をしているかどうか気になる。敬語や謙譲語の使い方にしてもしかりである。

 

今多少気になっている言葉の一つに「送付」というのがある。

文字通り解釈すれば「送り付ける」であり、あまりいい感じのものではない。

しかし、「FAX送付状」などと日常的に使われている。

中学生や高校生が使う簡単な国技辞典や漢和辞典では「送り届ける」とあり、「送り付ける」とはなっていない。

そこで、私は文書のタイトルで使うときには「送付」と書き、文書の中で使うときには「お送りします」と書くことにしている。

 

「日本語 表と裏」は日本語の本音とたてまえについて探り、日本人論を考える一書であろう。

 

最初に出てきた言葉が「よろしく」である。

これは、私が依頼文やご案内の文書で多用するものなので、著者の考えとわたくしの考えを整理しなくてはと思い、一旦本から離れなければならない状況となってしまった。

 

 三小のプールの傍に柿の木があり、熟しすぎて落下寸前まで来ている。不思議なことに鳥が一羽もとまっていない。ところが道を隔てた南側の民家の柿には鳥が群がっている。かつて、メジロが集団で柿をついばんでいた。今日は、ヒヨドリに似ているがそれとも違う鳥が来ていた、名前は分からない。
 三小の柿は渋柿なので鳥も食べないのだろうか。人のものを無断で食べると先生方に叱られるのを鳥も知っていて来ないのだろうか、それは分からない。


              

 

              


対話

2010年12月04日 | 日記

 心身症のの患者に「なぜ良くなったか」との著者・夏樹静子の質問に、患者は「先生にゆっくり話を聴いてもらったこと」、「詳しく話を聴いてもらった後の短いアドバイス」と答えたと、その著書・「心療内科を訪れて」の中で書いている。
 心の問題で起きる身体の病である心身症のの場合は特に患者と医師の親しい感情が通い合う状態での対話はその治療において重要な要素であろう。

 このことは単に心身症の患者と医師の間だけに言えることではないと思う。
 一般的に社会を変えたり、時代を変える原動力は色々な人が様々な場所で対話を繰り広げるところにあるのであろう。
 地元の子供会の育成者の団体と上部団体がぎくしゃくした関係に陥ってしまった。
 そこで地域の団体にはこの約1年の経過を踏まえ、総括してもらい、上部団体の代表者との話し合いの場所を設定した。
 お互い善意でボランティアとして活動しているわけであり、一定の結論に達しないわけはないと思う。
 信頼し合った中での対話の積み重ねがより良い活動を生み出すのではないだろうか。そのことでお互いの思い込みや考え方の誤りに気付き、より発展的な活動の展開につながるのではないでしょうか。

 真の意味の行政への市民参加でも同様だと思う。
 行政と多くの他分野で活躍の市民の間での対話も進めて行ってもらいたい。
 形式的なものではなく、本当の思いや意見が言えるミーティングが必要である。

 団体の組織のリーダーや自治体の首長が主催する会合でよく見られる例は、自分多たちの意見や考えを周知徹底させ事業の進行を図ることを目的にするものが多いということである。
 自分たちの意見や考え方を参加者に押し付けても真の意味で所期の目的は達成できない。
 参加者が本音を言い、共通の意識に立てるまで話し合うことである。
 そこで大事なことは中心者は「聞く」のではなく「聴か」ねばならない。
 冒頭の文章をもう一度読んでほしい。
 


カップめん

2010年12月03日 | 日記

 昨日は昼、何も食べるものがないので、タバコを買うついでにコンビニでカップめんを買ってきた。
 カップめんを食べるのも久しぶりだが、自分で買うのは初めてかもしれない。
 コンビニでその種類の多さに驚いた。日本ソバとうどんの二種類買った。
 味は思ったより旨かった。

 前にも書いたが、立川はソバ文化ではなくうどん文化であり粉の文化でもある。
 子どもの頃はうどんやまんじゅうをよく食べた。
 うどんといえば東京や関東ではなく関西であり四国である。

 ここでうどんについての三題噺を一つ、
 先月の青少健の委員会で三小の校長が副校長からのお裾分けだと言って、四国から送ってきたゆずを全員に配った。
 先日冷凍食品のカトキチ、正式社名は 「株式会社加ト吉」が社名変更し「テーブルマーク株式会社」となったと聞いた。
 立川にも讃岐うどんのチェーン店がある。

 もうだいぶ前になるが、立川にできた讃岐うどんのチェーン店に入り、「ぶっかけうどん」を注文した。
 出てきた物は、私が想像していたものとは全く似て非なるものであった。
 「ぶっかけうどん」の本当の姿を私は知らないが。
 では何故「似て非なるもの」かと言えば。

 四国の観音寺に行った時、讃岐うどんを当然食べることを予測し、ネットで最も讃岐うどんらしきものを調べ、出かけた。
 それがぶっかけうどんであった。
 店の名前も調べって行った。
 ホテルの近くで、店の所在を聞くと「すぐそこだ」と言うので、チェックインするのも面倒なので、直行することとした。
 ところが行けども行けども見つからない、資料の詰まった鞄は重く閉口した。
 早速、下調べしていた「ぶっかけうどん」を注文した。
 出てきた物を見てびっくりした。
 どんぶりに大量のうどん、上に大根おろしがかかっているだけ。
 柚子のしぼり汁と生醤油をかけて食べるのだという。
 何かバカにされているような気がした。
 食べてみて驚いた。うどん本来の旨さがすごかった。
 うどんそのものの味が他の何物にも邪魔されず生きている。
 その後視察で訪れた折、市の職員が案内してくれた讃岐うどんの店は見るからに立派で堂々たる店構えではあったが作られすぎた味で讃岐うどん本来の旨さとは言えなかった。
 そのことを言うと、職員は製麺所と併設されたうどん屋で食べるのが一番手軽に本場の味を楽しめると言っていた。しかあし、まだその機会はない。

 柚子は青いものも黄色いものも皮を細かく切ったり、すりおろして薬味として使っていたが、果汁を使ったことのは初めてであった。
 米酢やレモンは刺激が強すぎ合わない料理が多かったので、スダチやカボスを使ったり、季節でないときにはしぼり汁の瓶詰を多用していた。
 柚子は全く考えていなかったし、使ったこともなかった。
 新たな発見で食生活も豊かになるだろうと考えた。
 帰宅後必ずどこかにあると思い、探し出し、今も使っている。使う人が少なく、在庫も少なく、たまには欠品の時もある。
 以後、現在に至るまでその味を楽しんでいる。

 泊まったホテルがカトキチの本社の置かれているものだということが分かった。
 ホテルでうどんを食べたかどうかは記憶にない。
 社名変更し、日本たばこ産業の完全子会社であることも初めて知った。
 個人の食品加工会社から発展した企業の歴史も面白い。


立川市市制施行70周年記念表彰

2010年12月02日 | 地域・ボランティア

 昨日は立川市の市制施行記念日である。昭和15年12月1日に立川は町から市になったのである。
 ちなみに私は翌年の7月に生まれたのである。

 その日を記念しての感謝状の贈呈式が市役所で行われた。
 錦町からはあいあいパトロール隊、三小、七小の放課後子ども教室が受賞の対象となった。

 立川市と市民の協働社会の実現への貢献に対する評価がその受賞の理由である。
 協働参画型社会ということは言われて久しい。問題点や課題はないのだろうか。様々あるであろう。

 近頃気になることがある。
 市民の側から言えば、
 参加する人が少ない。
 多くの市民が自分の生活に閉じこもり、社会や世間に無関心、労を惜しむ等ボランティアや市民参画に背を向けているというのが主な理由であろう。
 しかし、一方ではマンネリ化し、新鮮さに欠け、問題意識も持たず、なじみ客しか寄り付かない居酒屋のように仲良しグループだけの組織や団体も多いのではないだろうか。
 社会的意義も持たず、魅力に欠ける組織や団体に人が集まろうはずがない。

 一方、受け入れる側の行政にも問題がある。
 一つの事業を展開する場合、社会的、時代的な要請や命題、課題が必ずある。それらに応えるためにより適した組織の形態や活動の目指すべき方向や展開があるはずである。それらを最適化することが所期の目的を達成するために必須の条件であると思う。
 そのためには、理論的考察や事例研究を行うことである。それには専門的知識と経験が必要となる。
 それらを行うのが正に行政の専門職の行うべき仕事であると考える。それを素人集団に任せるのでは確かな効果は期待できない。・・・勿論、それらに長けた経験豊かなプロにも勝る市民がいることも確かだが、極稀であり、活用するとすれば審議会等の委員として用いればよい・・・

 リーダーシップとマネージメントの問題である。
 行政はその専門性を生かしリーダーシップをとり、イニシアチブを発揮すべきである。
 本来あるべき理念や考え方を基本に、それらを具体化し行動に移すためのマネージメントは市民の組織や団体に任せればよいのである。
 ところが、市民のご機嫌を損じ、所期の目的が達成されないことを恐れ、市民におもねり、
主体性を失い、本来の市の役割から逸脱している姿が散見される。議会にも選挙を恐れ同じような傾向がみられのではなかろうか。
 変な意味で市民が主役となってしまっている。


心療内科・・・心身症

2010年12月01日 | 読書

 夏樹静子の「心療内科を訪ねて~心が痛み、心が治す~」を読み始めた。
 近頃は、寝る前に撮り貯めたビデオを見ることが多い。
 特にハイビジョンやBSの長時間番組に面白いものがあり、見るのが追い付かない。
 年のせいで記憶力も減退している。
 そこで始めたのが、ノートをとるという作業である。筆記用具もボールペンではなく、黒インクの万年筆である。
 何か昔に戻ったようでもある。
 従って、一本見るにも時間がかかっり、ビデオは貯まる一方である。
 その結果、
本はあまり読んでいない。

 古本屋で目に留まったのがこの本である。
 以前、夏樹静子がひどい腰痛で執筆を休んだことがあるのは知っていが、その原因までは知らなかった。
 その原因が心身症であった。

 「心身症」という言葉を初めて聞いたのは、確か日航の航空機事故の時であった。
 調べて分かったことだが、それは今から28年前の1982年の日航羽田沖事故の時のである。
 機長が心身症で、心神喪失状態で無罪になった事件である。

 夏樹静子もその事件から約10年後の1993年に発症している。

 心身症の学術的な定義は「身体疾患のなかで、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態を言う。ただし神経症やうつ病など、他の精神障害に伴う身体障害は除外する」である。
 心身症は心と体が一体のものであるということを示している。

 この本には14人の人生ドラマがつづられている。
 病とその人ならではの生き方が興味をそそる。

 現代社会は人の心に様々な影響を与え、その結果、身体にもいろいろな影を落とす。
 かく言う私も日々ストレスと戦っている。
 ストレスが人間を鍛え、成長させているのも事実だと思う。
 しかし、そのバランスが崩れると危ない。生活のリズムも崩れてくるのではないか。

 このブログも一か月近く休んでしまった。これもバランスとリズムの崩れか?