ひねくれ亭日常

散歩と徘徊が日常の独り言

屋台は消える運命か 2

2021-01-13 17:25:15 | グルメ

九州では屋台の文化が色濃い。

博多の屋台はその代表格だ。

その博多でも屋台の将来が心配されている。

代替わりした時に免許の更新がし難くなった。

跡継ぎも少なくWパンチである。

九州の他の街でも屋台は絶滅危惧種となっている。

道路の使用と衛生面が問題なのは解る。

実際或る町の屋台ラーメンは水道が無いから全てをバケツに汲んだ水で済ませていた。

まあ、確かに衛生的とは思えないが同時に屋台で食中毒というのも聞いた覚えがないなあ。

特にラーメンやおでんは問題ないだろう、生食がないから。

暗い中にポツンと屋台の灯りが見えるのは何となく嬉しい。

出来れば少しは残して欲しい日本の風景である。


フリーランスの哀れな末路 4

2021-01-13 13:26:20 | 三流カメラマン

出版系へ流れ込んだ広告系のお蔭でカメラマンは飽和状態となった。

元々出版は余り景気は良くないから版元はこれを好機と捉える。

つまりギャラを一方的に下げてもカメラマンには拒否する事は出来まいと踏んだのだ。

その通りだった。

安くとも他が無い以上どうしようもない。

交渉の余地など無く一方的に下げられたのだ。

ギャラは下がっても仕事があれば何とか次を探す事は出来る。

皆そんな思いで耐えていたのだろう。

所が事態はそんな状況を遥かに超えていたのである。

細々と続けていた媒体が廃刊、付き合いのあった会社が解散、倒産と出版不況そのものが身近にドカンと現れた。

これはかなり厳しい状況で以前なら直ぐに次を見つけて別媒体で仕事が出来たのがそうはいかない。

前述したように人は余っている。

そして最大の問題は年齢、40過ぎの親に近い世代より自分達より下の方が編集者は使い易いに決まっている。

こうして大きな波で年配は消えていく。

廃業を考える最初の段階である。

 


屋台は消える運命か

2021-01-13 13:08:20 | グルメ

昔は屋台商売が多かった。

麺類や粉もん、おでんや焼き鳥、お菓子の類まで実に豊富。

大人から子供まで屋台を楽しんだ記憶がある。

子供用には溶かした飴を型に入れてマチ針でチマチマと抜く型抜き。

簡単な物はへらの様な形でこれは誰でも抜ける。

最上級はキノコで首の部分が細くて難しかった。

キノコを抜くとおじさんが飴玉をくれるがその判定は異常に厳しかった。

「ここが欠けとる」

どう見ても完全に抜けていても難癖をつけて飴玉はくれないのだ。

大人は汚いなと思った瞬間だ。

優しかったのはワラビモチ売りのおばちゃんでちりんちりんと鈴を鳴らしながら公園にやって来た。

氷水の入った樽の中に浮かんだわらび餅を網で掬って黄な粉のトレーへ放り込む。

甘くて冷たい夏のおやつ。

10円で4個だがおばちゃんはよく五個入れてくれた。

何時も同じ場所にあったのがたこ焼きの屋台で夫婦がくるくると焼いていた。

覚えている範囲では一皿5個10円だったのが徐々に減り最後は2個10円だったと思う。

成長するに伴いそんな屋台と疎遠になり気が付けば屋台そのものが街角から姿を消していたのである。