工房八重の部屋

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大徳寺塔頭、細見院は秀吉が信長の菩提を弔うため建立、信長一族の墓がある!

2010年05月11日 | Weblog
大徳寺塔頭、細見院(そうけんいん)は秀吉が信長の菩提を弔うため大正11年

(1583年)に建立され、信長一族の墓があります。

通常は非公開ですが、特別公開で、公開されました。

信長の遺体は発見されないので、秀吉は信長の木造二体作り、一体は火葬にし

もう一体は、細見院に安置されています。境内には牡丹が咲き、秀吉が利休から

ゆずり受け、植えた茶花のワビスケは樹齢400年になっています。

加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で作った井戸などあり、趣のある茶室は3つあり、

明るくのびやかな印象の寺でした。


総見院特別公開のたて看板


総見院門


総見院本堂


鐘楼と庭  
創建当時のものとされる信長の家臣寄贈の梵鐘が架かる鐘楼


北山杉と牡丹


白の牡丹


境内には牡丹が植えられています。


ピンクの牡丹


牡丹は満開でした。


1番古い茶室


茶室は3つあります。


茶室内部


大徳寺と言えば茶室でも有名ですが、古渓禅師は利休を通して秀吉の信頼を得て総見院の開山となり、
古渓禅師、利休、秀吉という三人の関わりが非常に大きかったことから大徳寺が茶道ゆかりの地として
今日に至っている。


本堂から茶室へ通じる回廊の屋根裏には信長公の座像を運ぶときに使用したという輿が保存されています。


信長公一族墓碑案内の看板


信長公と信長公一族の墓  信長は遺体が見つからなかったので、信長ゆかりの地、全国
各地に、信長公の墓はあるとのことです。


細見院のワビスケの説明文


樹齢400年のワビスケ  天正11年(1583)秀吉が、総見院の創建時に、千利休から譲り受けて
植えたものといわれています。