千利休作庭の池泉式枯山水庭園をもつ大徳寺塔頭寺院「黄梅院」が春の特別公開で、
拝観できました。今回の特別公開では、千利休作庭の庭などは、撮影禁止でした。
(下線ついた文章クリックすると、撮影禁止された写真が見られる、ホームページに
リンクできます)
黄梅院は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために
春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を、開祖として建てた庵
「黄梅庵」が始まり。
織田信長は本能寺の変(天正10年(1582)6月)で亡くなり、当地に密葬されたが、
その後、秀吉は主君の塔所としては、寺領が小さいとし、山内の別のところに「総見院」
を建立し、移し、信長の菩提所としている。
寺名の総見院は信長の法名にちなむということです。
以前から、通常は、非公開寺院なので、門前からの前庭の苔とかえでの、深淵とした静けさ
に満ちた雰囲気が、門から見えましたので、寺内を拝観したいと思っていました。
思ったより、広い寺内で、利休ゆかりの寺らしく、風雅な雰囲気でした。
黄梅院の春の特別拝観の看板
黄梅院の説明看板
黄梅院門 拝観料を支払う! 通常は門から、前庭を覗けるのみ!
前庭
前庭は、苔と、かえでの目にもあざやかな新緑の緑の対比が、美しい庭です!
かえでが、紅葉する秋にも、来て見たい寺です!
前庭は静けさに満ち、深山のような雰囲気でした! 奥に重文の唐門があります。
くぐり門を抜けると、お地蔵さま? がありました。
茶室
枯山水の庭 撮影禁止なので、看板から写した写真です
拝観できました。今回の特別公開では、千利休作庭の庭などは、撮影禁止でした。
(下線ついた文章クリックすると、撮影禁止された写真が見られる、ホームページに
リンクできます)
黄梅院は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために
春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を、開祖として建てた庵
「黄梅庵」が始まり。
織田信長は本能寺の変(天正10年(1582)6月)で亡くなり、当地に密葬されたが、
その後、秀吉は主君の塔所としては、寺領が小さいとし、山内の別のところに「総見院」
を建立し、移し、信長の菩提所としている。
寺名の総見院は信長の法名にちなむということです。
以前から、通常は、非公開寺院なので、門前からの前庭の苔とかえでの、深淵とした静けさ
に満ちた雰囲気が、門から見えましたので、寺内を拝観したいと思っていました。
思ったより、広い寺内で、利休ゆかりの寺らしく、風雅な雰囲気でした。
黄梅院の春の特別拝観の看板
黄梅院の説明看板
黄梅院門 拝観料を支払う! 通常は門から、前庭を覗けるのみ!
前庭
前庭は、苔と、かえでの目にもあざやかな新緑の緑の対比が、美しい庭です!
かえでが、紅葉する秋にも、来て見たい寺です!
前庭は静けさに満ち、深山のような雰囲気でした! 奥に重文の唐門があります。
くぐり門を抜けると、お地蔵さま? がありました。
茶室
枯山水の庭 撮影禁止なので、看板から写した写真です