小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

10月27日2 38番

2016-12-14 | 四国遍路 土佐(高知...
10月27日2 38番
12時半から56号線をひた走り四万十川と中筋川の交差する地点を越えると足摺は近い。観光地の看板も見え始めたがまだ先は長かった。一人で歩いている遍路さんの姿が時折見える。「よければ乗って行きませんか?」と声をかけたい衝動に駆られるが、それを許さない毅然とした雰囲気があってできなかった。自分なら地獄に佛の気持ちになるだろうにな。歩き遍路にもさまざまなタイプがあり人生観がある。そんなことを思っていると樹林の中のアスファルトに変わった道が明るくなった。そのまま足摺岬駐車場に入った。
さて、金剛福寺はどこ?振り返った先の左方にそれらしきものが見えた。

38番 蹉跎山 金剛福寺(こんごうふくじ) 
ご詠歌 ふだらくやここは岬の船の竿 とるもすつるも法の蹉跎山
本尊 三面千手観世音菩薩
境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落(観音様が暮らす楽園)の世界を感得した。とある。嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅願を受けて大師が千手観世音菩薩を創りそれを本尊として開創された。以来、代々の天皇の勅願所となって栄えた。室町以降は武将たちとの縁が深く多くの多宝塔や講堂の建立を受けてきた。






広さと美しさで人々を圧倒させる札所だった。
写真は夫に任せて隅々までゆっくり歩いた。補陀洛をイメージして作られた寺だと実感できた。





「お参りが済んだから観光しよう」
ゆっくりと足摺岬の遊歩道を歩いた。南国の密林風でありながら椿の森が広がっていた。全開したら海の碧を背景にして壮観だろうなと想像する。岬の突端に絵はがきのように白い灯台があり、反対側の遊歩道の先には恋人の聖地があった。敷地内の売店で鍵を売っていてそれをかける場所があるらしい。パリにそんな橋があったのを思い出した。鍵をかけて写真を撮っているカップルがたくさんいた。市では橋が重くなるので対応に追われているらしい。どうして、そんなことを真似するんだろう。勿論、我々はそこまで足を伸ばさない。観光終了だ。そうそう、ここはジョン万次郎の生誕地らしい。帰ったら万二郎伝を読もうと思った。
予約した宿は近かった。ホテル足摺園。なんだか古めかしいが温泉だ。海に面した部屋からは海と空が美しく、皿鉢料理(豪華で食べきれなかった)よりも夕陽がなによりのご馳走だった。屋上の温泉に一人で浸って夕陽を堪能した。もう少し寒ければダルマ夕陽になるのだそうだ。
夫は清水鯖がお気に入り。曰く久々においしい鯖を食べた。土佐といえばカツオを思い浮かべるが土佐の清水サバはあの関サバに匹敵するらしい。サバアレルギーながら二きれ食べた。おいしい!アレルギーは出なかった。こういうのこそ現地に行かないと食べられない。












コメント
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