五月二十八日
九時頃に半袴を着用して登城する。
佐野伊左衛門殿が仰せられた。
そのあらましはこれまで三歩五厘以上だったが、春恭院様(前藩主・徳川治宝)の思し召しによって度々さしゆるし度思し召しになるのでお勝手がむつかしく、そのまま続けていたが、このたびは中将様(現藩主・徳川慶福)も春恭院様のなさりよう(浪費?)をご披露になってそれゆえ今後はみなも贅沢を慎むようにとのお達しがあったとのこと。
昼過ぎに帰った。が、学校で講義があるので休まずに行った。
江戸の菊池から書状が来た。
岩橋、山本へも一所にきた。
高野山登りの詩が一首有った。
遠藤蔵主昨年に六十谷から養子をもらった祝いにと餅を送って寄越した。
岡野へ行く約束だったが彦十郞殿かsら断りが入った。
夜、一丁目へ目薬を買いに行く。