小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

救急車

2025-02-13 | 雑記
都会に暮らしていると救急車やパトカーの音があまり気にならなくなる。
和歌山の住宅地ではサイレンの音が響くとあちこちの窓があいたものだったがこちらでは消防車が来たときぐらいしか窓は開かない。

救急車には三度乗ったことがある。
一度目は遙か昔。娘が小学三年生の時、彼女が自転車に乗っていて私は傍を歩いていた。なぜか虫取り網を持っていてそれがどうにかなって車輪に絡んで自転車が倒れた。乗っていた娘も転んだ。腕の様子がおかしい。
近くに消防署があった。走って行ってお願いした。救急車は外科に連れて行ってくれた。娘は骨折していたが大ごとにならずに済んだ。もう、忘れているかもしれない。
二度目は、両親の都合で預かった五才の幼女。慣れない家でお留守番は緊張していたのだろうけど膝に抱いて本を読んであげたたところ、体が熱いような気がした。冷たい物をあげても効果なく、体温計では38度もあった。もうびっくり。救急車に来てもらった。玄関で、火の塊のような彼女を抱いて救急車の到着を待つ間は生きた心地がしなかった。彼女の情報は名前しか知らないのだ。診察されている間に母親に電話した。携帯電話がありがたかった。小一時間で母親が駆けつけてきた。

三度目はごく最近のと。夫がお世話になった。
10日ほど前から夫の歩き方がおかしくなっていた。痴呆老人の歩き方。しかも失禁するのだ。
火曜日にキッチンで倒れていた。足から力が抜けてずるずると倒れたそうだ。必死で、協力して起こした。食欲もあって普段と同じような感じで一安心した。翌朝、何度か見に行ったがよく寝ていた。が、11時過ぎに行くとベットから落ちたと動けずにいた。もちろんトイレには行けてない。幾度か起こす努力をしたけれど酸素欠乏症などのある私には力はでない。そこで救急車にお願いすることを思いついた。
ありがたいことにスムースに大きな病院に連れて行ってくださった。
病名は「慢性硬膜下血腫」いつか頭を打って脳の間や頭蓋骨の間に血液がたまっているものらしい。
すぐに局部麻酔で手術をして血腫を吸引除去。血圧迫された脳が圧迫されて不具合が起きた模様。
手術三日目でしっかり歩いていた。一週間で退院予定。
救急車さん、ありがとうございました。



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