小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

10月16日  26番~24番

2016-12-13 | 四国遍路 土佐(高知...
10月16日曇天
夏頃から兄嫁と約束していた。兄嫁と言っても同い年だから「お義姉さん」とは呼んでいない。和歌山発の遍路ツアーにタイミングが合えば参加しているらしい。兄は7年前に悪性腫瘍で鬼籍に入ってしまった。兄嫁とは所用以外にあまり話をしない仲だったが兄の供養のためにもこれは良い機会だと思った。兄嫁は妹さんも誘っていた。やはり、夫が可愛がっていたただ一人の妹との二人参加は窮屈だったのだろう。日帰り一名15000円也。
と、それはさておき、日曜日の早朝に所定の場所に集まった。この逆打ち日帰りツアーの参加者は38名。大型観光バスのやや後部座席。添乗員と運転手が各2名。
和歌山駅を6時30分に出発。阪和道から鳴門インターを通ってトイレ休憩を何度か挟んで徳島県に入る。女性の先達さんが徳島のSAから乗り込んできた。
10時20分に日和佐道の駅に着く。
ここは阿波徳島の最後の札所の23番薬王寺の最寄り駅だ。足湯や観光案内、土産物やなどがあるかなり大きな道の駅。ここで1時間あまり徳島行きの電車を待った思い出がよぎる。遠くに見える日和佐城や薬王寺が降りそうな空の向こうでぼやけて見えた。
15分のトイレ休憩が終わると走り出したバスの中で昼食のお弁当とお茶が配られた。早すぎないかい?ま、日程の都合があるのだろう。しかし、かなりひどいお弁当である。
12:00  26番金剛頂寺
13:00  25番津照寺
14:00  24番最御崎寺
16:00  日和佐道の駅
17:50  徳島港着
18:55  徳島港発
21:05  和歌山港着
21:30  和歌山駅着解散
順調に時が流れ、なんとも曇天下のバスに揺られる為の一日となった。






26番 龍頭山 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
ご詠歌 往生に望みをかくる極楽は 月の傾く西寺のそら
本尊 薬師如来
室戸岬から海岸沿いの西北の土佐湾につき出した小さな岬の頂上に、椎の原始林の覆われ札所が「西寺」と古来から親しまれてきた金剛頂寺だ。室戸三山(西寺・津寺・東寺)の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。ゆえに朱印も「西寺」と捺されている。
縁起によると、大師が平城天皇の勅願により、本尊の薬師如来像を彫って寺を創建したという。大師が塔から帰国した翌年のことで、この時、彫られた本尊は自分で厨子に入ったそうだ。大師が開いた最初の寺とされている。境内には
鯨供養塔(鯨の供養塔があり、別名「クジラ寺」ともいわれる)や一粒万倍の釜(大師が炊いた米が一万倍に増え、人々を飢えから救ったという)などもある。




25番 宝珠山 津照寺(しんしょうじ)
ご詠歌 法の舟入るか出づるかこの津寺 迷ふわが身をのせてたまえや
本尊 地蔵菩薩
参道正面の小高い丘陵の上にある。鎮座しており、朱門をくぐり右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館があります。本堂に向う石段は真直ぐと天に続くかのような急勾配。参拝者はみんな真ん中の手摺りを利用しないと登れない。石段の途中には竜宮城を思わせるような鐘楼門兼仁王門。石段を昇りつめた所、本堂の正面には太平洋が広がります、眼下には室津川の河口と室津港、右の方には深緑の隙間に26番金剛頂寺が見える。筈だが雨が降りそうな空では灰色にしか見えなかった。
寺伝によると大師が巡拝にきた折に山の形が地蔵菩薩の持っている宝珠に似ているからと地蔵菩薩を彫って本尊として寺を創建した。昔、この像は火事になった時に僧に変身して村人に知らせて火事から救ったという逸話があって「火事取り地蔵」とも呼ばれている。
本堂は昭和50年に復興され、屋根には宝珠が輝いている。






24番 室戸山 最御崎寺(ほつみさきじ)
ご詠歌 明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし
本尊 虚空蔵菩薩
大師が悟りを開いた修行の地に建つ札所。室戸岬の突端にあり寺名は「東寺」と呼ばれている。国道55号線沿いに二つの大師が19歳の時に修行した洞窟がある。悟りを開いた「神明窟」と寝起きした「御厨人窟」です。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられ、法名を空海と決めたあの場所です。最御崎寺はその洞窟の上にある。
でも現在は立ち入り禁止になっていた。落石で怪我人がでたからだそうだ。尤もこのツアーでは窓から拝観となっていたのであまりガッカリしなかったけれど、歩き遍路さんにとっては落胆が大きいだろうと思う。なんといってもここは遍路道のハイライトではなかろうか。大師さんが座られたあろう場所から空と海を眺めたいもの。
寺伝によれば唐から帰国した大師が命によって虚空蔵菩薩像を彫って建立したのが始まりで勅願寺として栄えた。








最御崎寺へはバスが宿坊の前まで行ったのでジャングルのような道を歩いた。金剛頂寺と津照寺は石段が多くて難儀した。同行二人+1匹のワンちゃんが可愛かった。車遍路だけどちょっと羨ましかった。ワンちゃん用の白衣や菅笠があるのは知らなかった。







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土佐に向けて

2016-12-12 | 四国遍路 土佐(高知...

伊予の続きのバスツアーで行けば三泊四日で一度に終えられた遍路。でもこちらを選択しなかったことに後悔はない。追われて追われて自分で納経帳にも書いて貰えないツアーはやはり自分には向いていないし、ただ行っただけになるのがお大師様に申し訳ないような気がしていた。
伊予と讃岐は一度で回り終え、阿波は二回、土佐は三回訪ねることになった。順不同である。順打ちで阿波からスタートしたが、一緒に行った友人Sさんが二度目はご利益何倍という逆打ちを主張したのでそれに従った。伊予と讃岐はほぼ逆打ちとなったが土佐は行けるときに詣るというスタンスで順にも逆にも拘らなかった。そもそも、ご利益とは何?歩いて大師の足跡を辿ることが大事なのではないか。そう思うのでツアー参加には抵抗があったのだろうけれど、自分の弱さに負けて歩くことはできるだけ避けてきてしまった。部分的に己を叱咤激励して歩いた所もあるがそこらはしっかり記憶が残っている。
「自由」とは自分との戦いで、それを実感させてくれるのが弘法大師の宇宙のように広い心なのだと今は思う。だから、遍路も自分なりの詣り方が許され、その範囲の中で感じることがご利益なのかもしれない。
と、そんなわけで土佐は和歌山からの日帰りバスツアーで26番25番24番逆打ちコースから始まった。2回目は夫が「一度はつきあうよ」と言っていたので伊予で一つ残った40番と土佐での交通の便の悪い37番、38番、39番を車で廻ってもらった。足摺温泉一泊だった。残りの27番から36番までは別の日からできる限り歩きと公共交通機関を使って一人で回り終えた。きつかったです。




土佐 巡拝行程
歩き遍路の聖書と言われている『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協会編)は持って行かなかった。全てを歩く自信がないからあてにはならないと思ったことと荷物を少しでも減らしたかったからだ。スマホのGoogle mapが強い味方になる。寺の名前を入力すると現在地からの地図が示される。
荷物は過去の体験から使わなかった物を殆ど却下。だが、11月ということで寒さが怖くて防寒用品で嵩張ってしまった。傘はやはり持っていかないといけないし。
できるだけネットでローカルな公共機関の時刻を調べたが本数は少ないのに路線が多くてよくわからなかった。出たとこ勝負で行くしかない、最悪、タクシーがあると腹を括った。それでも路線名とおおまかな距離を把握するのに以前に徳島駅でもらった四国運輸局発行の「四国88NAVI」という小冊子に頼った。ずいぶんと助けられてヘロヘロになっている。
この土佐編では順不動、歩いた道のつながり上から行った順に書くことにした。

ツアー遍路(くもり)
10月16日  日帰り
26番 金剛頂寺
25番 津照寺
24番 最御崎寺

車遍路(晴と雨)
10月27日
37番 岩本寺
38番 金剛福寺
足摺温泉泊

10月28日
39番 延光寺
(40番 観自在寺)

歩き遍路(晴、曇とちょっと雨)
11月14日
36番 青竜寺
35番 清滝寺
高知駅傍ビジネスホテル泊

11月15日
30番 善楽寺
29番 国分寺
31番 竹林寺
34番 種間寺
高知駅傍ビジネスホテル泊

11月16日
32番 禅師峰寺
28番 大日寺
27番 神峯寺
善根宿泊

11月17日
番外  鯖大師

11月25日
高野山




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「今、しばらく」

2016-12-07 | 雑記

「小梅日記」を長い間休んでいます。
四国遍路に心を奪われて準備や巡拝に追われて居る間に年末になってしまいました。
やっと、88札所を回り終え、高野山にも結願の御礼と報告に行ってきました。
終わった後も写真の整理が大変でした。
遍路ブログも遅々として進みません。
が、やっと阿波、讃岐、伊予と簡単ながら書き終えました。
あとは最後に回った土佐が残っています。なんとか年内には終えたいと思っています。
これは自分の中での一つのけじめです。
来年からは「小梅日記」に戻るつもりです。
今しばらく荒い遍路日記におつきあいくださいませ。


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別日 40番

2016-12-05 | 四国遍路 伊予(愛媛...
別日 40番
 
40番 平城山 観自在寺
ご詠歌 心願や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの
本尊 薬師如来
一番札所の霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。美しいリアス式海岸の真珠の生産地としても知られる宇和海に面した最南端にこの寺はある。





縁起によると平城天の病気平癒を祈願して本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩を創って開いたとされている。この三体は一本の霊木に一刀いれる毎に三度礼拝しながら彫ったとされる。
平城天皇は行幸して「一切経」「大般若経」を納め「平城山」の山号を下賜した。庶民から天皇にまで信心を集め七堂伽藍のそびえ隆盛を誇った。
しかし、長い歴史のうねりの中では多くの札所と同じく栄枯盛衰の波にもまれてきた。
本堂を取り囲む回廊には「お砂踏み」(四国の八十八ヵ所霊場から霊御形を勧請した八十八体の弘法大師を安置し遍路に行けない人が簡単に巡拝できる場所)があって一周した。







車で来たのでゆっくりじっくりお参りが出来た。この日はここまでで一路徳島に向かった。徳島港から南海フェリーで帰宅するのだ。11時に出発して途中サービスエリアに2カ所寄って16時半のフェリーに乗った。
800キロの走行。運転おつかれさま。そしてありがとう!!




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四日目 43番~41番札所 帰路

2016-12-04 | 四国遍路 伊予(愛媛...
四日目 43番~41番札所 帰路

43番 源光山 明石寺(めいせきじ)
ご詠歌 聞くならく千手の誓いふしぎには 大盤石のかろくあげ石
本尊 千手観世音菩薩
ここは乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来から尊崇されてきており、6世紀の前半、欽明天皇の勅願により千手観音菩薩像を祀るための七堂伽藍を建立したのが起源とされている。役行者が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として栄えた。が、やがて荒廃してゆきほぼ100年後に訪れた大師が嵯峨天皇に奏上して復興した。







鎌倉時代には源頼朝が大恩有る池禅尼の菩提を弔うために阿弥陀如来像を奉納し経塚を築いている。この時に山号を源光山と定めたという。そうしたことから武家の帰依があつく後には宇和島伊達家の祈願所となった。



42番 一カ(王偏に果実の果)山 仏木寺(ぶつもくじ)
ご詠歌 草も木も佛になれる佛木寺 なお頼もしき鬼畜人天
本尊 大日如来
牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれている。
弘法大師が牛を引く老人についていくと、楠の古木の上に光るものを見つけた。それは大師が唐から投げた宝珠で、大師はその楠で大日如来像を刻み眉間に宝珠を納めて、この地を霊場に定めた。本尊の大日如来は牛や馬の守り仏として信仰を集め、現在はペットの供養に訪れる人も多い。






四国霊場では珍しい茅葺の屋根の鐘楼が元禄時代に再建されている。
ここで思いがけないお摂待を受けた。近くの三間中学校の一年生達が社会科の実習?として一年に一度この寺でお摂待をするのだという。手製の葉書大の絵も手書きで可愛い文章が添えられている。ラッキー!良い日に来合わせたとお大師様に感謝です。お遍路文化はこうして受け継がれていくのでしょう。





41番 稲荷山 龍光寺(りゅうこうじ)
ご詠歌 この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いぞと聞く
本尊 十一面観世音菩薩
宇和島は伊達家十万石の城下町。その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野で地元では「三間のお稲荷さん」と親しまれているのが龍光寺。
弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消した。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置し、四国霊場総鎮守の寺とした。
創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきて石の鳥居や赤い鳥居もある。







今回の遍路ツアーはこれでおしまい。伊予としては40番の観自在寺が一つ残ったがここはかなり離れていて、次回の土佐一国詣りのツアー冒頭に企画されている。一つ残すのは気分が悪いのだろう。何人もの人が予約を入れていた。40番を個人で詣るにはJRを乗り継いで一日がかりで宇和島まで行き、日に数本しかないバスに乗って行くのだ。その点、バスは座っていれば連れて行ってくれる…そんなことを考えているとバスが止まった。看板は「真珠会館」
奥に導かれていくと団体用の昼食が用意されていた。12時少し前になっている。
大きなみやげものやさんだ。勿論、宇和島で採れた真珠もたくさん並んでいる。ここで最後のお土産を調達するように仕組まれているのだろう。
じゃこ天を多めに買った。
ここからバスは一路広島に向かう。12時50分出発。
17時50分くらいの新幹線で一同は九州へと帰って行く予定。
長いバス道中では先達さんの話に続いて「知ってるつもり」の空海と衛門三郎の話が上映された。寝ている人が大半。
トイレ休憩が一度の後、バスは17時20分に広島駅に到着した。九州に帰る皆さんにお別れを告げて17時35分ののぞみに乗れた。新大阪からくろしおを乗り継いで21時前に家に帰り着きダダ(ワンコ)の熱烈歓迎を受けた。
それにしてもしんどかった。そして伊予での1札所残しが棘のように心に残った。




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