タワゴト日記

 未来は無限にあると思っていたが、有限を
感じさせる世の中、光をツールに少しでも楽しい毎日でありたい!

金剛峯寺

2011年06月18日 | Weblog


 
 高野山真言宗の総本山、金剛峯寺の大僧正(写真上)。

観光客の外人さんと日本人にカメラを向けるとニッコリ。

今日、6月15日は、日頃は有料だが青葉まつりのため無料開放、

金剛峯寺のなかには、歴史に名を残す絵師の筆による豪華な襖絵で

飾られた部屋や、豪華な台所のほか、秀次自刃の間など拝観できた。

その他奉讃展として、仏画展、書道展、写真展、いけばな展を

開催していた。写真の外人さんも背を屈めて見入っていた。

僕は、弘法大師がお住まいになっていたといわれるお堂。

真如親王の御筆による大師の御影が安置されてから「御影堂」と

呼ばれるようになったというひなびた感じの「御影堂」が好きだ。




青葉まつり前夜祭

2011年06月17日 | Weblog


 弘法大師の誕生を祝って「花御堂渡御」「稚児行列」「大師音頭」

などが道いっぱいに繰り広げられた。

ねぶた祭り?ご当地では奉燈行列が前夜祭のメインイベントだった。

20時ごろ宿坊「一乗院」にもどり、平地より5度程度違うと言わ

れた高野山、確かに涼しく感じられた。

夕飯「精進料理」をいただく前に、一風呂浴びたがもう一度入る

ことにした。檜のかおりがする、脱衣所の足元は床暖房素敵に心

豊になれる。部屋に戻るがもうすることがない。

明日、早朝のお勤めに備えて、寝ることにするが、中々寝付かれず、

夜中には何回も起きることとなった。


高野山奥の院

2011年06月16日 | Weblog


 名古屋から高野山は遠かった。近鉄電車アーバンライナーでなんば

へ、なんばから南海電車で極楽橋駅、ケーブルカーに乗り換え高野山駅、

今度はバスに乗り換え奥の院。名古屋駅で乗り遅れたツアーバスに追い

つく手段は、鉄道しかなかった。最終的に乗る電車は南海であることが

判り、近鉄と南海電車を選択、結果巧くいったようだが自信はなかった。

奥の院合流後は、何事もなかったようにツアー客となった。

有名企業の墓を通り、何百年も経った杉木立の中には、諸大名墓石群が

見えた。(写真上)終点は弘法大師御廟である。(写真下)


つゆの間に

2011年06月13日 | Weblog


 子供の頃から電車に乗るのが好きだった。いつも乗ると先頭車両の

運転手さんの脇、線路が自分の体を通過していく感覚、そして目が先へ、

先へと追い求める。線路が分かれるどちらへ進むのか?近づくにつれ

はっきり判ってくる感覚、目的地に到着するころには、すべて自分が

運転し選んでいるように思えてくる。そしてそれはまるで夢を追いかけて

いる自分であったようだ。

そして全ての道がローマに通じるように、すべてのの線路が夢に向かって

いると思う時代もあった。

新幹線時代到来の頃は、うなぎ弁当を食べ、新幹線の中で眠るのが僕の

至福の時間だった。

そうだ写真上の電車に乗って、新幹線の歴史鉄道館に行かなくては!




節電

2011年06月11日 | Weblog


 夏の節電対策として、ベランダなどで植物を育てて日除けにする

「緑のカーテン」が人気だ。我が家の夏の猛暑対策は、朝顔、夕顔、

フーセンカズラそしてゴウヤと歴史を重ねてきた。節電とまでは、

考えなかったが少しでも涼しく、日影を作る方法を考えたのだ。

夕方になれば、水まき打ち水をすることを考える。眠れぬ夜、

外で夕涼み、蚊に刺されないようウチハ片手に時々空を眺める。

ゴウヤの花の臭いは、クチナシの花、山茶花の臭いに似て好きだ。

花のにおいで虫も寄ってくるが、不思議にも蚊よけになるようで

蚊も年々すくなくなったようだ。もちろんゴウヤ本体はジュース

よし、炒めてよし、漬物よしでビタミンcたっぷり、健康食品。

最初の年は、その苦味に食べることへの躊躇があったが、甘辛く

調味料で味付けすることで、年々食べられるようになった。

今年はまた屋久島醤油を使うことでどんな食感が、味わえる

ことだろうか?食べることが一番大切な、お年頃の僕がいる。