ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

花のパリ、なのにいつも通りのケチケチ旅行の記

2008-07-28 17:35:19 | 旅日記

10日(火)・出発前日~11日(水)・フライト  

 アシアナ航空のソウル第一便が9時発なので2時間前の搭乗手続きは7時、この時間だと横浜日吉からの公共交通は間に合わないので、成田空港管理区域内唯一で歩いても第一ターミナル出発カウンターに行けるという成田エアポートレストハウスに前泊。自分で運転して民間駐車場を利用した方が多少は安上がりなんだけれど、そのために早起きするのと、帰りの疲れを考えて素泊りすることにしたのです。JRで空港駅に着き、やや道順にまごつきながら徒歩で17時頃にホテルにチェックイン、荷物を部屋に運び込んだらすぐに夕食は空港内とまた戻り、レストラン街を一回りして中華料理翠鳳に入る。僕は陳麻婆豆腐定食、女房は相変わらずの五目焼ソバ、双方とも味はマァマァながら、麻婆豆腐の方はショーケース前の見本と比べるとオシャレに見せながら上げ底にした別皿で半分くらいの量じゃないか、これはいけません。食事後300ml瓶日本酒とおつまみを買い、ホテルに戻って持込の我家デイリーワインと一緒に二人で空けて熟睡して翌朝を迎える算段。西に向かう方が時差ボケは少ないようだが、パリ到着が現地夕刻なのでそのまま夜の熟睡をねらってフライト中はなるべく寝ないようにしようというわけ。 出発当日は5時起きでシャワーを浴び早々準備完了、6時半のホテル専用送迎バスを利用するので朝食は空港内で搭乗手続を終えてとることになります。バスは第二ターミナル経由で第一出発ロビーに、これなら歩いた方が早かったね。夜間飛行できない成田は出発手続も7時から開始、これなら7時半でも間に合うかな。ソウル迄とパリ行の二枚のチケットを受取り、これも7時開店のスターバックスコーヒーで軽い朝食をとってから出国検査を受けて搭乗口待合ロビーで暫し待つ。 15分遅れでエプロンを離れた飛行機はソウルに向けて飛び立つ。どうやらこのソウル乗継パリ便の利用客は日本人だけでなく外人もかなりいる様子、正直に運賃が安いと直行便からこちらに流れるんですね。2時間半ほどのフライトなのに食事がでてきて、国際線は必ず出るんでしょうね、これなら成田空港内ではコーヒーだけにしておけばよかったなと女房と話す。初めて観光の飛行機に乗っての感想は離着陸が至ってスムースなのに感心、それとスチュアーデス全員の髪型が一昔前のJALの宣伝ポスターそっくりでなおかつ若々しいのがヨカヨカ。インチョン空港もとてつもなくデカい、乗継のロビーを見ただけなのだけれど造りはバブル期建設で豪華な羽田に比べてむしろ構造材を見せて合理的、こうして見ると成田は正直やや見劣りしますね。到着がやや遅れたこともあって約1時間後にパリ便に搭乗開始、韓国グッズなどの販売コーナーはちょっとだけしか見られませんでしたが是はというものがなくて何も買いません。奥方の買物もやはりパリでしょうから。 ソウル・パリ間は12時間半のフライト、旅は行きより帰りの方が短く感じるものですが、飛行機は偏西風の影響もあるから西行きは実際にも時間がかかり、これは本当に長かった。20年以上前のニューヨーク直行便も長かったけれど、あの時は飛行機で寝たからあとで時差ボケがきつかった。今回は多少はウトウトしたものの二人ともほとんど起きていたからなおさら長く感じたのでしょうね。2回の機内食は、座ったままで動かないのでパンなどは残す。あとはTVを見たり本などを読みながら、体を捻ったり伸びをしたりで退屈な時間を何とか過す。このパリ便はやはりソウルから乗込んだ韓国の人が多かったのですが、機内アナウンスは韓国語に英仏語で日本語はなし、機長の英語は流暢と女房が言っていたが、機内には隣国日本人も多いのだからやはり考えてもらいたいもの、スチュアーデスもかなり怪しい日本語でしたからね。 パリには現地時間で午後7時半頃到着、パリ近郊に広がるフランスの田園風景を見ながらシャルドゴール空港に着陸、滑走路から空港エプロンまでの回送中に草むらに多くの野ウサギが走り回るのを見つけ、農業国フランスに着たんだなぁと実感、これって変ですかねぇ。入国検査を終え手荷物をとって到着ロビーに出ると、この国でも何人かの運転手らしきがパリ市街に行くかと言ってるんだろう、声をかけてきたのだがこちとらにはチンプンカンプンだし用無しなのよね。行きだけは早めに勤めを終えて空港に迎えにきてくれと頼んでいた娘が、時間を見計ったようにキョロキョロする我々の前に現れ、まずは一安心。RERとメトロで約1時間強で娘のアパートメントにたどり着けば、同じような形式と高さの古い建物が連なっている町並みの中の一軒に到着、かなり夕刻なのに心配した気候は日本と変わらないしまだ明るい。高緯度のパリは9時過ぎになっても明るいねぇ話せば、今はサマータイムで午後10時頃まで明るいから観光に一番良い時期だとか。古めかしい建物入口扉にはナンバーボタンが付いていて、暗証番号を教えられてやや薄暗い共有廊下の中に入る。部屋は5Fといっていたけれどこちらはグランドフロアが日本の1Fでアメリカでも同じだったファーストフロア1Fは日本の2F、従って日本流には6Fまで、エレベーター無しの螺旋階段を重い手荷物を引っ張り揚げるのに大汗をかいてしまった。アパルトマンは広い1ベッドルームにこちらも広めの居間とダイニングとこじんまりしたキッチンがつながる部屋の二間に、トイレと洗面バスシャワールームが独立してあるという一人暮らしには贅沢なもの、家具類は全て家主のもので食器類も用意されているとのこと。広めの居間スペースにエアーベットを膨らませてしばし半月間の我々の宿泊準備完了。機内で動かず食べて腹はもういいからと、買い置きしてあったというどうということも無い味わいのワインを娘のセリフでは腐りかけたチーズとかをつまみに女房と二人で空けてから熟睡してしまう。

12日(木)  ノートルダム大聖堂とルーヴル美術館

 パリ第一日目の朝は冷蔵庫のあり合わせとコーヒーで済ます。娘は今やたらに忙しいらしく帰りが遅いということで、近くのスーパーやパン屋の場所を教えてもらいながら、まず初日は市街中心部に足を伸ばしてみようと一緒に家を出ることにする。早朝はの外気はやや日本より低めながら寒いというほどではないなぁと食事中に窓から覗いあたりの街の風景は、多少のディテールの違いがあっても本当に同じような建物がピッタリと連続して続き、石造りで木製ガラリ戸が配された外壁に最上階を斜めに切取った屋根と一部にテラス手摺というデザインが伝統として守られているらしく、一時代昔からの歴史を感じられますねぇ。キッチン前の窓は小さな中庭の上に空けられた吹抜開放スペースになっていて、明かりだけでなく給排気に配管スペースを兼ねていて、4面が別住戸や階段室となっているらしい。こういう吹抜をうまく配して建物をビッシリ繋げて増殖させていったため複雑なプランが出来上がっているらしく、図面を確認しない限り詳しくは分からない。こうして見ると今の日本のプライバシーを重視するマンションなどに比べて格段にアッケラカンとしています、上下の床衝撃音や排水設備音なども意に介さないらしく、パリジャンは近代マンションよりこういう古いアパートで市街地に住むことを好むということらしい。農業国フランスでパリなどの都市に住むということの意味はどうあるべきか、そういう市民意識は欧米の歴史が育てたのでしょう。確かニューヨークでも郊外より都心の高層ビルのマンションに住む方がステータスと言っていましたから。日本より高いと思われるセキュリティー面では古い建物なので鍵は後付けになっていて、古風だけれど頑丈そうなものが建物の入口と各住戸玄関扉に付いている。町並みの頂上線が統一されているのでどこも日本流には7階建、上下にはかなりきつめの回り階段のみで薄暗い中を歩くことになるので老人には無理、はたしてお年よりはグランドフロアにお住みなんでしょうか。ちなみに娘のアパルトマンは隣のビルと壁を共有していて、入口は二つあるものの片方だけを常時使っていてもう一方は殺してある、後付け鍵工事が一つで済むからなのでしょう。入口正面の部屋には二つの建物の管理人家族が住んでいるとかですが、その他の住人についてはお互い我関せずというのが徹底しているのか娘が日本人で付き合いがないのか、何も知らないという。また建物についても全体の所有者というのはいないらしく、娘の部屋も以前住んでいた女性が一住戸だけ所有しているとか、外観の形は統一されているのに中身の関係の方は何世代も続くということで複雑なことになるのでしょうね。 パリのメトロは駅間隔が短くて歩いて次の駅まではすぐ、その途中にChampionなるスーパーがあり、次駅近くには2軒のブーランジェリー、他には惣菜や肉専門店や中華惣菜などの店も点在しているのがパリの街、さらにもう一駅先には曜日で朝市もあるとか。本当に街並はどの通りも同じような建物が建ち並び、広い通りは1Fが店舗になっていてほとんどが個人小売商店、それにやたらにカフェが多くて歩道にまでテーブルを置き赤いテント屋根を出すのも似ていて、自分の居る場所がどこでも同じ風景となってしまい、しっかりと地図でチェックしながら歩かないと迷子になりそうだと、これはシッカリ注意して街歩きをしようとまずは肝に銘じる。二駅ほど歩いてから出勤の娘と別れ、すぐ先のセーヌ川の中州シテ島にあるノートルダム大聖堂にほどなく9時頃に到着すれば、我々と同じくおのぼりさん観光客がゾロゾロと集まってきている。実際に目にする石造りのゴシック建築は壮大な大きさ、中世時代人力でここまで大きくて高い建造物をよくぞ建てたなぁ、宗教の力は凄まじいというのが実感。日本も同じように宗教建築や城郭で大きいものがあるけれど、地震国だし木造で焼けたりすれば後世には巨木が無くなって元通りに復活できないため奈良京都に残るのがほとんど、フランスではこういうのが各地にあるというのが凄い。地震が無い国で石という素材の蓄積はとてつもなく大きいのですねぇ。この大聖堂の正面側に聳える二つの角塔のデザインが東京都庁のモデルというのは肯けます。列柱で構成された室内も高いアーチ天井で外壁側は柱間にステンドグラスが美しく、クリスチャンでなくても敬虔な気持ちになるでしょう。こんなものがゴロゴロあるとなれば観光資源にことかかないはず、さすが世界一の観光地パリですねぇ。全く異次元の国にきたのだなぁと女房と二人でつくづく実感したのでした。このあとセーヌ川右岸に渡りパリ市庁舎の偉容を眺めながら左折して、これまたどでかくて立派なルーヴル美術館に向う。しかしどの建物も彫刻、彫像で飾り立てられているし、街路のあちこちにもやたに目立つ。明治大正期の東京市街の銅像群や近代建築はこれらを真似たことがよく分かります、新宿現都庁だけじゃなかったんですね。新たに作られピラミッドと名付けられたガラス屋根入口でX線持物チェックを受けて地下広間空間にエスカレーターで下り、切符売場で9€ の入場券を購入して展示棟に入るようになっている。ここは元は王宮だった美術館の建物そのものも美術品ですねぇ。平日なので大勢の小中学校生が団体で実習見学に訪れているのだが、これだけ巨大で維持費がかかると思われる美術館が18歳未満は無料というのがこれまた太っ腹ですごい。ここルーヴルは1848年頃以前の美術品を収集しているそうだが、まず第一日目ということでギリシャから西欧各国およびフランス大作画を展示するドゥノン翼を回ったのだが、展示品が多すぎてゆっくり見ていては日が暮れてしまうと案内パンフレットに写真入の代表作を探しながら、かなり早足の見物でもういっぱいいっぱいの感じ。感心したのは絵画などガラスケース越しはおろか額にも保護ガラスが無く、手が届く近さでみられること、これを入口での荷物チェックだけでとは日本では考えられません。さすがにモナリザだけは保護されていましたけど、壁画みたいに大きい作品などはガラス入り額など作ったら重すぎてどうにもならないでしょうからね。昼食を取るのも忘れて5時間あまりの見学であまりの作品の多さと似たような作風の氾濫に女房がもう疲れたというので、またもう一回は来ないと、まだ半分以上は残っているよと話しながら美術館を出る。今日は昼抜きで晩飯を早めにしようとまた徒歩でウインドウショッピングしながらアパルトマンに戻る。途中朝に教わったスーパーで食材を物色、野菜は農業国なのに日本なみのお値段ながら肉類やチーズなどの乳製品は安い、魚は高いです、ワインはもちろんデイリー品は安いと思いますがスーパーなので味は自分の好みの産地のものを選ぶしかありません。専門店ならテースティングできて選べるらしいのですがフランス語を喋れないとどうしようもないということで、スーパーのお薦めらしい4.85€ のメドックの赤をチョイス。日本のスーパーに比べるとかなり小さい店舗で、レジなどはかなりモタモタしていてイライラする、やや大きめの個人商店に毛が生えた程度です。野菜など自分で計って値段ラベルを付けさせたり、肉類は薄切りがなくて骨付きが多いなど面食らいます。初めてだったので女房も品探しにかなり手間取っているようでしたよ。第一日目からよく歩いたなぁと、パリ旧市外はターミナルが拡散している東京と違って案外とまとまっていて無理してでも歩き回ってみるのも面白そうだねと。しかし最後の6Fまでの階段の最後は息が切れてしまいましたが。2週間の居候生活、夜遅く帰る娘の分もと基本的には朝晩の食事はアパートで食べることにしておさんどんは女房が勤めることに、それで一回ぐらいは3人でレストランでディナーをと女房が言う。外食では帰ってくるのが面倒だし、宿では酒代が高くつくしで、僕は飲みながら家で食べて寝てしまうのが好きだからどうでもいいんですけどねぇ。昔卒論で研究室にやっかいになっていた時代、大学院博士課程の先輩の新婚家庭で仲間一同がおよばれした時に、そのまた先輩が言って皆を笑わせた弁、家で飲めば怒られるし外で飲めば金がかかるしこういう呼ばれての酒はタダでいくらでも飲めるから一番いいねぇ俺は遠慮しないぞと。僕は今ならそこで泊めてもらえるんだったら大歓迎ですが、帰らなきゃならないんだったら自前で自宅の方を選びます。

13日(金)  リュクサンブール宮殿近くの公園での骨董市へ 

 二日目も市街中心部を歩こうと、幸いにアパルトマンから歩いても行ける場所で本日は午前11時から骨董市が開かれているというので、その開催場所サン・シュルピス広場近くに無料見学できると古い案内書に書いてあったリュクサンブール宮殿にも立寄ってみようということで、娘が出勤したあと9時過ぎに家を出発。昨日と同じスーパーのある大きな通りに出た道路の向こう側、目的地方向が地図で点線となっているのでなんだろうと近づいてみると両側から登ることができる階段道となっていて、そこを上がれば真直ぐに中央に浅い排水溝がある古くて狭い石畳の路地に出る。こういう道筋は中世には両側のアパルトマンの窓から糞尿が投げられて、それに困った長スカート姿のご婦人達がハイヒールを発明したなんて話を聞いたことがあるぞ、香水だって悪臭にたまらんと必要に迫られたからなどと女房に話しながら抜ければ、すぐにカフェや小売商店が並ぶ繁華街が現れ、開き始めたショーウインドウを除きながら散歩気分で小一時間ばかりゆっくり歩けばリュクサンブール公園に着く。ここに来るまでの道筋、今は人間様の糞尿に変わってお犬様の糞があちこちに転がったままで、パリの人達は懲りない人々ですねぇ。昨日は見かけなかった犬の散歩風景を二日目はしばしば見つけ観察すると、リ-ドを離して自由にさせている犬が多くてやたらにオシッコはするウンコもする、でも飼主はほったらかし、でも歩道から車道には出ないように訓練しているらしく横断歩道だけ呼んで傍を歩かせているのはお利口さんなのだけれど、逆に糞は皆さんが歩く歩道に散らばるから踏んづけないよう注意しましょうね。メトロにも犬連れ客がいましたがそちらはさすがに糞尿はダメでしょう。思うに朝から一日中黒人系労働者が道路清掃に働き、車道と歩道境いの側溝に一定間隔に出水口があってセーヌ川から汲み上げていると思われる水を大量に流していたから彼らの仕事を無くさないようにと考えているのでしょうか、これらも払った税金のうちと飼い主の皆さんは思っているのでしょうかね。でもこちらのゴミ収集車のコンテナからの積込み方だけは日本より合理的です。広い公園の一郭を横切って宮殿表側入口に回って中に入ろうとしたら、門扉脇に一人立っていた若い大柄な警官が何か僕にやさしく声を掛ける。サッパリ分からないので女房に聞いてもらうと、こんな観光地なのに英語が通じず、数回やりとりして何かダメらしいわよと。でも普通に入っていく人もいるのでよく見てみたら皆さんカードをぶら下げておられる。あとで知ったのだがこの宮殿は市議会となっていて、議会開催中には一般見学はできないらしい。それですぐ近くの修理中のサン・シュルピス教会横の広場に早々と着いてしまい、ミニチュアフィギュアや小さなイコン画などの土産物を売る店を冷やかすが、いずれも結構なお値段にビックリでコピー物だろうと思うのだけれどこういうものが人気商品なのかなと、すぐ目の前の骨董市にもしあれば年代物としてむしろ高いかもね。11時の開門で広場内に入ればテント造りながら常設店が数十店ギッシリと並び、今まさに商品御開帳準備状態。僕は西洋骨董についてはよく分からないのでこの後に予定している土産物探しのためのクリニャンクールやヴァンヴの蚤の市の予行演習のつもりでどんな物があるのかを第一に値踏みに専念、女房もアクセサリー類の下調べだと称していきなりここで買うつもりはないようだ。日本や中国のものもあるが、当然にこちらの方が高い。家具類やシャンデリア、アクセサリー宝飾品、古本やエッチング中心の版画、油絵やデッサン画、西洋陶磁器、銀食器や金工細工、ゴブラン織、アフリカ工芸品などなど、気軽に買えるものは少ないなという印象、でも価格感覚は多少出来たかな。ゆっくりと二周りして何も買わずで市場を離れ、来た道と変えてもっと賑やかそうなルートだろうとメトロのオデオン駅方面に向い、途中からあまりに広い道筋も面白くなさそうとソルボンヌ大学前を抜ける通りに入って、フランスらしい店がないかとキョロキョロしながらアパートがあるジュシュー駅まで歩き続ける。パリ市街は多少広い道路沿いなら日本式には1Fのグランドフロアにはいろんな個人商店が並び、上階までを持つ大型店はある地域が限定されている感じ、また道路沿い入口は小さいのに奥に分け入る通路が続く配置の場所も見かけたので有名店は案内書などで調べないと分かりませんね。初めての海外個人旅行の我々は蚤の市以外には特にこれといった買物目的があるわけではなく、街中では行き当たりばったりで何かいいものがあれば程度の気持ち、でも女房はいくつか興味をひかれた店があったようですが。デパートにも旅行後半に立寄りましょう、どこでも買えるような買物は最終日程の段階で一気にするのが我々の流儀、6月下旬にはバーゲンセールが始まるらしいし、で娘に調べてもらったらこの国のバーゲン開始日は政府が決めるんだとかで今回は我々が帰る25日からとはギリギリ間に合ったね、原価割れの安値販売を大手がかってにやると零細業者が困るからだとはフランスは社会主義の国ですねぇ。それでこんなに町中に店舗があってみな商売が成り立っているんだ、日本みたいな市街中心部の空洞化は起きないのですね。そう言えばカフェがあんなに多くて朝から客が入っているのも、彼らは老後のために蓄えなくても社会主義の国が面倒を見てくれるからと、日本とは考え方が全く違うと娘が言っていた。フランス革命があった国ですねぇ、その代わりに消費税は20%ぐらいと旅行案内に書いてありましたね。それで物価は東京並みになるのでしょうね。確かメトロは一律料金で日本円換算200円程度、迷路のように地下岩盤を勝手気ままに掘って至るところを走り回り市内どこかに連絡つながって便利な交通網になっていますが、東京の乗車距離から考えるとやや高いのでは、このあとのパリ見物では10枚綴り券を何回か買うことになりましたから。

14日(土)~15日(日)  ロアールの古城めぐり 続く


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