始めはモンサンミッシェルに一緒にと言っていた娘が急遽行先を予定変更し、あとの土日はいろいろあって出かけられないからと、この最初の土日を利用してもうひとつリクエストしていたロワールの古城めぐりを一泊二日で手配していた。 なんでも3人の往復だと格安のSNCF列車キップがあったんだそうだ。これはあとで知ったのだがフランスの列車料金は時間帯などでも大きな価格差があるのだとか。朝が遅い娘の案内で9時過ぎに出発、メトロで隣駅となるSNCF列車発着オーステルリッツ駅はちょっとレトロ素朴な終着駅といった感じなのだが、フランスの発着駅はどこも同じような造りの駅舎らしく、映画場面に出てくるような雰囲気。まず知らないとまごつくのは駅に改札ゲートが無くて自分でホーム手前にあるチェック機に切符を差し込んで確認を受けるというやり方、予約切符だけでなく当日切符でも同じカードタイプだと同様だそうだ。初めて我々が乗り込んだフランス国鉄列車2等クラスは日本の寝台車みたいな片廊下個室形式で4人対面の計8人部屋、連結客車にはほかの形式もあって面白かったのは自転車持込許可車両もあったこと、また犬や猫も同乗可能で隣に座った女性は猫籠を横に置いていた。目的地は終点のトゥールで約2時間の急行列車が一人片道11€ というのは本当かという安さだそうだ。パリを出るとすぐに田園地帯と森が交錯しながら続き、まばらに村落が現れる風景は4月の美瑛の丘より平坦でもっと広々しているし、途中停車した駅なども田舎だなぁといった感じだが日本とはなにかが違う。教会を中心に町や村落が発達したと教えられた記憶があるが、集落の中に教会の高い尖塔を見つけたのは3箇所ぐらい、そのかわり広い農地の灌漑が重要らしく何回かそのための面白い散水機械装置らしきを見つけたがその移動運転方法がいまいち分からず興味を覚えた。でもこの時期は小麦などの取入れ前でそんなには散水の必要はないらしい。また三圃式農法というのも学校で習ったが、確かに田園には農地に混じって牧草地も点在しているのだが、家畜の姿はこの列車沿いではほとんど見かけられなかった。もうそんな古い農法は必要なしだろうけれど、連作障害防止で土地を休ませているとしたら毎年パッチワークの姿を変える美瑛みたいに作物を取っ替え引っ替えして栽培しているのと比べるとはるかに土地の余裕があるのですね。そうこうするうちに終点のトゥールに時間通り12時頃に到着、ここはかなり大きな町でロワール地方の中心都市、駅舎もやはり同じ形式、ここでも改札ということがなくてそのまま素通りで外に出られる。途中に改札チェックが一回あっただけで、もしそれも無ければ薩摩守が横行してしまうじゃないですか。 駅前にあるグランドホテルに宿泊予約してあるというのでまずは荷物だけ預かってもらう。古城巡りは午後2時に駅前スタートの観光タクシーを予約してあるというのでまず昼食ということになったのだが、こんなことは僕も始めてなのだが何故か胃が詰まったようなモタレ感がしてあまり食欲がわかない。昨晩の多少ミンチ状に切り目を入れた牛肉赤身、ステーキ風に料理したのがあまりにも硬かったからか昨夜もちょっと胸焼けして目を覚ましてしまったのです。朝は多少無理しながらも食べたのですが昼になっても調子が良くない。それでレストランやカフェでよりテークアウトのパン一つで僕はいいとなって、女二人はバゲットサンドを買い、またホテルロビーに戻ってパクつくなんて日本人の評判を落としましたかね。でもこのあとの我々だけ夫婦二人の昼食はなにせカフェの看板掲示メニューを見ても何か分からずで、意に添わないものをそれに時間もかけてという無駄もなくそうと、より手っ取り早くてどこにでもあるブーランジェリーやチェーン店で実物を見て決めて食べるということになりましたが、これはケチ根性でも強がりではありません。このあとまだ時間があるからと観光案内所で市街案内パンフレットをもらい、周辺をブラブラ歩きすれば街路公園ではテントの陶器市、市役所ホールではクラフトフェアらしきをやっていて、フランス各地で土日にはこんな催しが盛んに行われるのですねぇ。 2時少し前にやってきた駅構内に観光タクシー案内所があって、そこで予約同乗者が集まると運転手が紹介され彼らの所有と思われるワゴン車に乗込む。ワゴン車の定員は日本と同じ9人で、運転手を除けば8人の観光客が乗る。同行者はニュージーランドからの僕らと同年代の夫婦にオーストラリアからの若い女性達3人。フランスの車は車体が無傷なものは少数派、この観光タクシーも後に凹みがあり、運転もかなり飛ばすし前に遅い車がいるとピタッと後から煽るしで荒っぽいですねぇ。交通量が少ない田舎の道路の制限速度は日本よりかなりの速さで設定されていることもあるのでしょう、乗用車を運転する皆さんの腕は全般にかなりものです。英語が話せる北アフリカ系と思われる我らの運転手、皆を笑わせながら今日のコース案内をしていたからベテランでしょうね。ロワールの古城めぐりは観光バスかタクシーを利用するしかなく、パリからの乗合観光バスだと日帰りのみだとかで、最初の一泊旅行が娘の案内でできて助かりました、あとの予定は日帰りばかりだからこれで多少は要領が分かったね。この日回ったのは午後7時トゥール駅戻りの予定でロワール川沿いに走ってアンポワーズ城、クルー館、シュノンソー城の3つ。最初のアンポワーズ城では滔々とした流れ沿いに要塞のように建っている姿に中世ヨーロッパの世界に来たなぁという感慨が湧いてきましたよ。駐車場までの道筋には古い民家も建ち並び、こういう城には小規模ながら城下町らしきも取囲んでいるのですね。入場料は8人でも観光タクシーを利用すると団体料金になるのがちょっとしたサービスで、さすが観光立国のフランスですねぇ。最初に見物した城ということあったのでしょうがロワールではこの城が一番印象に残りました。というのもここにはブロボン王朝全盛前のヴァロワ家時代に国王達が居を置いた城で、中でもイタリアで戦いルネッサンスを経験して芸術の偉大な庇護者と呼ばれるフランソワ1世が晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをこの地に招いたことで、あの名画モナリザがフランスに持込まれてルーヴルの宝となったということや、遺言によりレオナルド・ダ・ヴィンチはこの城に埋葬されていることを初めて知った。建物そのものや城のテラスからの眺め、それと周辺の街並の雰囲気などもいいですねぇ、建築様式はゴシックとルネッサンスの二つが棟別に合体していると説明パンフレットに書いてあったが我々日本人にはそんなものかなで終り。最後に城壁下部に造られた試飲カーブでロアール産ワインを赤白一杯ずつ飲ませてもらい何も買わずにサヨウナラ。次はすぐ近くのダ・ヴィンチが過したクルー館、ここも元は中世の要塞でクロ・リュセ城と呼ばれていたとか、彼が3年ほど暮らし仕事をしたという部屋々々を見物、いくつかの発明模型の展示をみてから、広い庭園レオナルド・ダ・ヴィンチパークを回って彼が考案した土木工作物や軍事技術の展示品に直接触れられるようになっていますが、我々は集合時間が決められているのでゆっくりとは出来ません。ちょうど土曜日ということでフランス人観光客も多く賑やかでしたねぇ。この日の最後のシュノンソー城へは暫くタクシーで走る。こちらはかなり広大な敷地を持ち、ワイン用ブドウ園もあるらしい。マロニエの巨木並木が両側に続く参道みたいな直線道路の先に門があって、入ってから前庭から真直ぐに進めば川に掛かる橋を渡って流れの中に建つ城にたどり着く。こちらの方がアンポワーズより時代が下がり優雅な感じで付属する庭園全体も広いので要塞という雰囲気は少なく、日本で言えば内堀に囲まれた近世の平城といった感じ。別棟の地下カーブでここのシャトー元詰ワインを試飲、こちらの方がややコクがあり、3本セットで10€ 弱というので重いにもかかわらずアパートに帰ってからの晩酌用にと買ってしまった。この日は小雨もちょっとだけ降る空模様だったのだが、ここからタクシーが待つ駐車場に戻ろうとしたらやや強めの雨がザーときた。しかしフランスでは多少の降りでもすぐ止むから傘を持たない人が多いと娘が言うとおり5分もしたら止んでしまう、このあとのフランス滞在中の数回のちょい雨ぐらいは屁でもありませんでした。セーヌ川やロワール川などの大河がある割にはパリもこの地も気候が乾燥していて日本のようなジメジメした感じが無くて清々しい。このあとは田舎道を抜け自動車専用道路を一気に走ってトゥールに予定の7時より少し前に帰り着く。 ホテルにチェックインして部屋で一休み、ここの建物も古めかしいですねぇ。一応3ツ星ということですが質素なもので、日本のような寝具やスリッパ、アメニティ類はなにも置いていない。エレベーターなども回り階段の中央吹抜けを利用して1機だけ設置した全時代的なシロモノ、これがフランス流だと、何でも新しく造り替えてしまう日本とは大違いに返って好ましくも面白い。しかし部屋のトイレは広いのにバスルームはシャワーだけの公衆電話ボックスみたいだったのはご愛嬌。晩飯はトゥール市街案内パンフレットで調べてレストラン街があるという旧市街に娘の先導で向う。駅からは10分強で確かに狭い道が多い場所に突然広場があり、その周辺には木骨構造の建物が混じるレストラン街が連なる。カフェバー風から郷土料理を詠う店、クレープ料理やイタリア料理に中華料理から日本料理の店まである。僕はまだ胃の調子がおかしくて肉類はダメ、かなり混み合っているし子供連れが入っているから何か食べられそうなものがあるかなと思った一軒に入る。プリフィックスコース料理中心で魚料理はサーモンの1種類のみにそれと前菜はカレー風味のスープ、デザートはいらないから女房が好きなものをと、でワインは今晩は少なくていいからと女二人がいいという白にする。それでやっぱりスープだけでもうかなりのモタレ感、メインの魚は味付けも好みに合わずで半分以上残してしまい、ワインも2杯だけでもういらない。僕は洋風料理ではフランス料理よりイタリア料理、もっと好きなのはメリハリあるスペイン料理で微妙な味付けは苦手、日本でもホテルなどの結婚式の料理は美味しいと思わないものなぁと再認識。せっかくのレストランもこの日は最悪状態、ようやく暮れてきた10時過ぎにホテルに戻り寝てしまう。 ロワール二日目の朝はチェックアウト後にまた荷物を預け、駅構内のカフェに入っても僕はまだ不調なのでコーヒーのみにして昨日の昼の残りのパンだけあとから食べる。本日の観光タクシーは9時出発して午後1時過ぎの戻りでアゼ・ル・リド城とヴィランドリー城の二ヶ所を回る。同乗者は我々よりやや齢の日本人とアメリカ人らしい夫婦に若い中国人女性、運転手は若いフランス人で英語はダメらしく昨日の陽気なベテランと違って運転中はほとんど喋らないし城に到着しても言葉少なくチケット売場に連れていくだけ、これは外国人が多い観光地では問題ですねぇ。タクシー二日目で気が着いたのだが信号がある交差点が少なくて、わざわざ直線方向に行くのにもサークル状に時計回りと反対に大回りながら対面の目的方向道路に曲っていく、必ず右折で出入りするから左手に見える車優先でサークルに進入する。こうすることで信号が不要になるのですね、娘が言うには欧米ではこの形式が多いのだそうです。このあと市街地でも見かけましたが車の制限スピードが遅い都市部ではサークルの半径は小さくてもよいからちょっとした広場ぐらいの広さがあれば信号無し交差点が出来るのですが、市街地では歩行者用信号だけはどうしても必要になりますから合理的かどうかは分かりません。アゼ・ル・リド城は元は川の中の小島に建てられたのが湿地帯になり、さらに水を抜いて庭園が造られたということでシュノンソー城と似た雰囲気、ただし村落が城下町のように手前に形成されているのはアンポワーズみたい。最後のヴィランドリー城はロワール川に近い崖地を利用して繋げて建てられ、要塞という雰囲気を残している。この城は一番最近まで所有者が暮らしていたらしく内装はモダンに改装したのでしょう、生活の臭いがそこはとなく感じられたのはこの城だけでした。ここは城と庭園が別料金となっているのはいただけません、庭園ではシンメトリーに配された植栽が野菜だったのにビックリ、これ菜園にもなっているのですか。ここでは週末を自転車旅行している人を見かけましたし、キャンピングカーなどが集まっている場所がいくつかありましたから、食だけでなくこういう旅行レジャーも盛んでフランス人は生活を楽しんでいますねぇ。フランス人は遊び好きだから休みも多いのかと聞けば娘曰く、夏場のバカンスが長いんだからそれ以外に祝日まで多くしてはどうかなっちゃうでしょと、この時期はバカンス前の予行演習でしたか。午後1時過ぎにトゥール駅に戻り、またもや日曜でも観光客相手にやっているという旧市街レストラン街で昼食をと向う。その途中昨日覗いた市庁舎内のフェアで気になったアクセサリーがあると、日曜でも開いていたホールの中に入って、フランスに来て最初のお買上げで女房はニコニコ顔。昨日と同じ道を歩いて広場近くに来てみれば、フランスでは1時から2時が昼食タイムとかで昨夜ほどではないものの賑わっていますねぇ。きのう広場手前まで歩いてきて通り過ぎようとして覗いた小さな店、奥の方に薪窯の火が見えてちょっと気に掛かって、確かトゥール料理と書いてあったからそこにするか話していたのだが、お休みで残念でした。僕はまだ本調子ではないから軽いものの単品にするから二人が好きなところにしたらと、それじゃクレープ料理にしようと娘が言って広場にテントを出してオープンカフェ風に食べられるカフェ風の店に入る。僕はサラダだけにしたのだがコースではない場合の単品はかなりボリュームで、これで充分だし飲物も水だけ、女どもは前菜サラダ、メインのガレット、クレープのデザートとコーヒーのコース料理、僕は体調万全でもこんなものは食わないな、本当は臓物などを煮込む田舎家庭料理みたいなのを食べたいんだけれどオシャレな店で出すのだろうか、ここらの店のメニュー看板には無かったみたい。食事後は観光パンフレットが読める娘の先導でトゥールで有名な二つの教会見物を兼ねてロワール川沿いに歩いてみることにしたのだが、まず最初に旧市街西側大通では日曜とあってフリーマーケット風の蚤の市に引っかかってしまう。大したものは見つけられずで、モロッコの極小さな面白い地中海風絵柄の壺だけを5€ で荷物にならないからと買って離れる。まずはすぐ近くのドーム屋根の頂部に立つ聖人に由来するサン・マルタン教会に、ここの入口にはお金をおねだりするホームレスが2人ばかり、パリでは見ませんでしたがこのあとの地方都市ではしばしば見かけましたが、こういうのは触らぬ何かで無視して中に入り一回り見物、ロマネスク様式だそうですが日本人にはゴシックの異様さに比べたら柔らかい空間に感じられるのじゃないでしょうか。このあと街の北端ロワール川に出れば川幅大きく滔々と流れる土色の水にこの水源はどうなっているんだろうと、乾燥した気候との釣合がとれなくなりますね。川岸では日曜日とあってお子さん達が喜ぶ催しをやっていて、季節が良いシーズンだけだろうけど毎週こういうイベントがあるのは生活の余裕が感じられて羨ましいじゃありませんか。旧市街東側に回ってもう一つのトゥールのシンボル教会、サン・ガティアン大聖堂はゴシックの大建築で見るものを圧倒する。ゴシック様式になって石積技術が合理化され、林立する柱状で屋根を支えて高く高くし、かつ外側の柱間の壁を無くすことで窓を広く開放して内部に光を取り入れたということだが、なにしろスケールが大きいし立体加工された石の質感も何かのエネルギーを感じさせる。日本の神社建築でも特に江戸時代のものは木組みと彫物で飾り立てていて、建物装飾は洋の東西を問わないとも言えるけれども素材とスケールの差異は大きいし、これらが建つ土地自体も日本みたいな沖積層じゃなくて岩盤の上に都市が造られたことが分かる、豊葦原の瑞穂の国とは違うなと。石造りでもこういう建物は常にメンンテナンスされており、彫刻やステンドグラスなどさらに修復が加えられていて、とくに戦災で破壊され復興したものも多いらしいから、オリジナルが少ないものは世界遺産に登録されていないらしい。トゥール旧市街は戦災にあったそうで、古く見えたレストラン街の木骨構造の建物も復元といっていたが、フランス人に限らず欧州の歴史ある地に住む人々は昔どおりに復興することを使命と考えているのか、それがただ好ましいと考えているのか、国民全体の価値観が揃っているのでしょう。そういえば古城巡りから帰ってくる時に普通の民家の建築現場を見かけましたが、古い建物と全く同じように建てていましたものね。駅までの帰り道、今度は古本だけの路上マーケットをやっている場所を通りましたが、こればかりは何も分からないので素通り、駅前広場に戻ってからカフェでやや一休み、帰りの汽車には7時過ぎに乗車、夕陽が沈むのを眺めてからパリに到着したもののまだ明るいうちにアパルトマンに帰還、まずは楽しかったね。
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