神棚の隣には恵比寿大国様の絵札を貼った社がある、これも同じように浜松から遷っていただいたもの、これも神棚同様に捨てるのもと山荘を建てた際にそちらに、特に拝んでいるわけではないけれど。
こちらもお水を入れた盃と御飯を入れた木盃は元々あったもので、地味な印判の染付御神酒徳利は僕が加えてみました。
今は亡き父は毎朝まず南向きの神棚にお参りし、次に商売をしていたこともあり東向きのこちらの恵比寿大国様を拝んでいた、大正生まれの義父の方は家に祀ったものは何にも無かったから、信心深かった年代は明治生まれの人たちまでだったのかな、明治ってまだ江戸の名残が強く残っていたんでしょうね、江戸庶民だった親か祖父母に育てられたわけだしで生活に染み付いていたんだと思います。
終戦直前生まれの僕はそんな父の姿をかろうじて見ていただけの最後の世代になるのかも、でもどちらかといえば無信心派ではある、多少は縁起かつぎはするけれどもね。
この刷絵は毎年暮になると父が何処かからいただいてきて、古い絵の上に貼り重ねて新年を迎えていたのを思い出す、1年間の商売にまさか紙切れ1枚でバッチリとご利益あるとは本当には信じていなかっただろうけれど、毎朝ただ拝むことで日々の安心感を得ていたのでしょうね。
2009年7月からの再掲です、恵比須大黒は僕自身も骨董関連で木彫や塑像や張子の大小いくつかを買ってはいる、でもあくまでも飾り物としてですが、恵比須様は日本の神様で大国はインドの神様とか、でも大黒様は出雲の大国主と混同されていますよね、その大国主も律令時代の国守とも混同があるとか、そういえば今でもお寺さんの奥さんはダイコクさんといいますがその由来はハテ?