ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

有馬温泉を根城に湖東・篠山・奈良・京都に 第一日目後半 2010.11.20(土)

2010-12-18 17:42:36 | 旅日記

 百済寺は一昨年も訪れたのだがその時の印象が良くてもう一度と、こちらでは無料の駐車場があって少しばかり待ってから駐車する。聖徳太子が百済人のために創建させたという由来からこの寺の呼び名は当然にクダラダラだと思っていたら、当地ではヒャクサイジだと、地元の人も本来ならクダラだろうけどずっとヒャクサイと呼び慣わしているんだそうだ。

                駐車場の右側に参道が一直線に本坊から奥の本堂まで

 平安時代には比叡山のもと天台宗となり湖東の小叡山というような大寺であったが、応仁の戦乱で焼けたり、織田信長に敵対する側に組みして完全に消滅、今の建築群はここも江戸前期のものだという。ここの名勝庭園は見事な造りで小さな滝からの流れが池を満たし、周囲の岩組みや樹木が美しい。建物と池とその奥の小山を上手く活かした造りで、手入れも行き届いていて、本坊庫裏の縁側に腰掛けて小宇宙の中にいる気分を味わいたいが、この時期は観光客が多いからそれは無理か。

 

           本坊の庭園は池を廻る造り、池の鯉の餌も有料で置いてあった

           池の上部に燃えるような紅葉が

 さらに上に続く石組みの階段を登った先には湖東平野から琵琶湖、さらに比叡の山並を望む天下遠望の名園があるのだが、この日は霞んで比叡山がやっと薄っすら見える程度で琵琶顔や安土城址のある小山ははっきりしなかった。説明パンフレットにはさらにはるか先方880kmには渡来人の母国百済があるとあったが、それを見ることは不可能、でも古代人はその方向は知り得ていたはずで、偲ぶことは出来たであろうね。

 

        天下遠望之図の看板               実際の眺め、この日は霞んでいて
 さらに石段を登った奥の場所にある本堂は前回の記憶が全く失われていて、どんな建物だったか再見と250m先という案内板に従って登る。最後の階段だけは急になってその上には仁王門があって、その向って左側には五木寛之ゆかりと言う大わらじが掛けられていて、手前の階段手摺には彼の写真と説明記事などもあったが宣伝に利用したものだからと読まなかった。なんでもここは五木寛之の百寺巡礼の35番目に当たるそうだ。その山門の奥には本尊は十一面観音という本堂がヒッソリと、これは江戸時代前期に再建なったものではあるが、日光みたいな彫刻のある華麗なものとは全く無縁な見た目には質素なものである。さっきの見事な庭園に比べて地味な建物だし、周囲も紅葉が見当たらないから印象が薄かったんだね。脇にある鐘楼では鐘を撞く順番を待つ行列ができていたが、先を急ぐ我々は階段を避けて坂道の女坂を下って駐車場に戻る。しかしこの道沿いは和紙の原料となるミツマタがギッシリと植えられていたのは何故だろう、それらが早い春に咲くための花芽をもう付けていた。

   

   階段状に仁王門、大わらじが右に                 本堂正面

           鐘楼には撞こうという人の行列が
 ナビで見たら金剛輪寺はすぐ近くだから、夕刻に芦屋に着けばいいからともう一か所だけ回ってみることに。こちらにも駐車場があって、もう午後3時近くになっているのにまだ満車状態であったが、幸いに1台出る車があってすぐに停めることができた。入口の黒門から紅葉が出迎えてくれて、その先はほぼ平坦な道で名勝庭園までは永源寺や百済寺とは立地条件の趣が違う。

    

                 入口の黒門                 しばらくは平坦な参道

 しかし本堂はそこから300m奥のほうにあると掲示があったからまずそちらからと思って先に進んだら、それからの道は坂や階段となってダラダラと続き、とても300mとは思われない道筋となる。その両脇には風車を持った小さな石地蔵が何体もズラリと並んでいるのはどういう謂れがあるのだろうか。普通には水子供養でというのが多いようだが、その場合はもっと小さなお地蔵さんを奉納するんじゃないかな。

          

       奥への参道の両側にはお地蔵さんが     参道の最後にこれでもかの階段が 
 やっとたどり着いた本堂手前にはここも急な石段が立ちはだかり、その上にはこちらでも大わらじを両脇に吊り下げた二天門が睨みを利かせている。その中は百済寺よりやや広めの境内で、鎌倉時代創建という本堂と三重塔が建っている。冒頭写真は三重塔側から見た本堂前景である。特に本尊を秘仏聖観音とする本堂は国宝に指定されているそうで、京都の戦乱で焼けてしまって残るものが少ない平安時代のものなら無条件で国宝となると聞いてはいるが、鎌倉時代のものでもこれは評価が高いんだね。先ほどの江戸時代の百済寺の本堂よりずっと古い建物なのに華麗な感じで、内部も仏像などが展示されて一周して見て回れるようになっているのは立派ではある。特に日本最古の大黒天像という木彫は、あのにこやかな福の神とは全く違って迫力があって、元々はインドの神様で大国主などのイメージが重なる前の姿なんだろう。

            国宝の本堂前

 さらに左手奥に建つ三重塔もバランスがいい建物で、これも鎌倉時代のものを昭和に復元大修理したんだそうだが、一連の建物群はなかなか見ごたえがある古刹だと、やっこらさと歩いた甲斐がありましたよ。湖東三山であと一つ見残している西明寺はこの次の楽しみにとっておきましょう。

            三重塔も美しい
 戻ってきて名勝庭園も見物したが、作庭が桃山、江戸前期と中期という庭園が並んではいるものの、天下遠望の庭園などの壮大さや池を巡る雰囲気などでは百済寺の軍配を上げたい。

 

        本坊玄関から額絵の眺め                名勝庭園の一部

 しかし滋賀のお寺も侮れない、今日の三つの寺院もかなりの規模で、紅葉だって京都に負けないぐらいじゃないかと、湖東だけじゃなく湖北には有名な国宝の観音像もあるというし、比叡山や多賀大社なども有名で、城下町としても近江八幡、彦根、長浜が、京都に近い街道筋では草津や大津も、さらに鯖街道にも続くしで実に魅力ある土地ですなぁ。
 さて4時前には芦屋に向かわないとと、またナビに従って八日町ICで高速に乗ってここからは思いのほかスムースで、名神の最終の西宮ICからはもう一般道に降りて夕刻の5時半過ぎに義妹が住むJR芦屋駅近くのマンションにスンナリと到着。1時間ほど休憩と、でも女どもはお喋りに付き合ってから、夕飯は予約を入れていた近くの芦屋魯耕という高級居酒屋だという店に、女房がいい日本酒が飲めるところがいいと言うもんだから。6時半過ぎに三人で入店したら我々が一番客、義妹はちょくちょく利用しているらしくお勧め料理をいくつか注文、さらに僕が鍋がないかと訊いたら予約がないと材料が揃わないから出来るかどうか厨房に聞いてみるという。しばらくして出来るというので頼んだのだが、持ってきたのを見たらどうやら寄鍋風が三人分あって凄いボリュームに、二人前と言っておけば良かったと、向こうは他の注文を聞いているんだから塩梅してもらわないとねぇ。案の定、全部は食べきれず〆の雑炊もストップ、勿体ないよなぁ。食べた中では丹波黒豆豆腐の冷奴は旨かった。麩料理なんてものもあって、やはり関西は関東とは違うメニューがあるんだね。
 帰ってからも持参のワインでもう一飲み、結構な時間になってしまい義弟は同窓会とかで我々が寝るまで帰ってこなかったが、お先に失礼と寝てしまった。


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