
この恵比寿大黒様は張子でできているのですが、ススで真っ黒けでどこかの竈の近くに祀っていたのでしょうか。それに比べると二体を入れた枡は黒くはありませんね。
恵比寿大黒さんをお社ではなく枡の中に祀っている例は見かけることがありますが、この枡は二体の像だけではおさまりが悪いからとあとでより新しいものをこれに合わせたものでしょう。サイコロがあるのはよく分かりませんが、博打打の家にあったのならご愛嬌ということですか。木札には大黒天甲子講の文字、これもどういう具合に加えられたのですかね。東信地方のリサイクル屋にこの一式で置いてあったのを偶然見つけたので、由来は一切不明ですが。
さて、この枡なんですが側面を見たら各面に尾張一宮眞清田神社、恵比寿大黒像、おかめ面、寿福の文字が、さらに裏には鬼面の焼印がある。おそらく尾張眞清田神社の豆まきに使われたものなのだが、恵比寿大黒像焼印があるからと一緒に合体させたのでしょうかね。元々大黒天はインドの神様、ダイコクが大国に通じるから出雲の大国主と混同されて米俵に乗る姿になって、米を計る枡に縁があるということも理由にしたのかもしれません。この読み方の混同では国造と虚空蔵などの例もありますね。また恵比寿は大国主の子供である事代主だという説も、やはりこの組合せが何らかのキッカケになっているのでしょうか。
いろんな人がいろいろ考えて何がしかをもくろんだのかなぁと、こんな想像をめぐらしてみるのも面白いですね。 僕の親父は商売をしていたので、毎年神社からもらった半紙に印刷された二体図をやしろ風枠板に毎年貼り重ねて、毎朝お供えして拝んでいたのを思い出します。