毎日厳しい暑さが続いています。
Blog 更新、すっかりさぼってしまいました。
先日より仕事(と言ってもパートですが…)に就き、充実した日々を送っています。
また毎日、YS-11 保存展示機を見られます(*^-^*)
今日は8月の第1土曜日、私にとっては昨年・一昨年と暑さのあまり意識がもうろうとした日でした。近くの公園で夏祭りが行われていましたが、盆踊りのメロディーがだんだん聞こえなくなり、気が付いたらお祭りは終わっていました。今年はこんなことにならないように…
さて、今ではどこでも冷房は当たり前になってしまいましたが、かつては鉄道でも冷房が付いているのは特急や急行だけで、通勤電車に冷房が本格的に付くようになったのは 1970年代のことです。
私鉄では京王帝都や小田急は比較的早く導入されたようです。
国鉄では山手線に103系試作冷房車が、中央線に101系冷房改造車が登場したのが通勤冷房車のスタートでした。
西武鉄道でも、1972年に101系6編成が冷房車として製造されました。当時の冷房車は試作的要素もあり、パンタグラフ付の車両以外は集約分散型のクーラーでした。この頃は、私鉄では集約分散型が主流で、小田急・京王帝都・東急・京急・東上線などもほとんどが分散型でした。国鉄通勤型では集中式でしたが。
西武園の花火大会を見に行った時、西武新宿の駅に停まっていた電車がとても涼しく感動したのを良く覚えています。大型MGの「キ~~ン」という音が印象的でした。
翌年以降、冷房車が正式に増備されるようになると、クーラーは集中式になり、グローブ形ベンチレーターとの組み合わせはまた国鉄と共通になってしまいました。個人的には個性のある集約分散型の方が好きだったのですが。
1975年度からは、701系についても冷房改造、制動方式の変更など、改造が行われることになりました。ローズレッド・ウォームグレーの車体にステンレスドアの姿は、801系と共通でしたがとても似合っていた感じでした。
4連4本、6連2本が登場した後は、レモンイエロー1色になってしまい残念でした。どうやら「黄色い電車=冷房車」のイメージがあったためとのことでしたが…(それから何年も101系の非冷房車には何度もがっかりさせられましたが)
101系集約分散型冷房車 クハ1179 1983年8月7日 高麗駅

701系冷房改造車 クハ1750他 1976年4月15日 所沢駅

ところで、かつて休日の朝に、飯能⇔吾野間の1往復がありました。
4両編成で、101系が使用されることが多かったですが、551系が入ったり、まだ冷房改造されていない701系が入ったり、中には451形の2連×2が入ったり…
どちらかと言うとあまり変化の無い秩父線の中で面白い存在でした。
Blog 更新、すっかりさぼってしまいました。
先日より仕事(と言ってもパートですが…)に就き、充実した日々を送っています。
また毎日、YS-11 保存展示機を見られます(*^-^*)
今日は8月の第1土曜日、私にとっては昨年・一昨年と暑さのあまり意識がもうろうとした日でした。近くの公園で夏祭りが行われていましたが、盆踊りのメロディーがだんだん聞こえなくなり、気が付いたらお祭りは終わっていました。今年はこんなことにならないように…
さて、今ではどこでも冷房は当たり前になってしまいましたが、かつては鉄道でも冷房が付いているのは特急や急行だけで、通勤電車に冷房が本格的に付くようになったのは 1970年代のことです。
私鉄では京王帝都や小田急は比較的早く導入されたようです。
国鉄では山手線に103系試作冷房車が、中央線に101系冷房改造車が登場したのが通勤冷房車のスタートでした。
西武鉄道でも、1972年に101系6編成が冷房車として製造されました。当時の冷房車は試作的要素もあり、パンタグラフ付の車両以外は集約分散型のクーラーでした。この頃は、私鉄では集約分散型が主流で、小田急・京王帝都・東急・京急・東上線などもほとんどが分散型でした。国鉄通勤型では集中式でしたが。
西武園の花火大会を見に行った時、西武新宿の駅に停まっていた電車がとても涼しく感動したのを良く覚えています。大型MGの「キ~~ン」という音が印象的でした。
翌年以降、冷房車が正式に増備されるようになると、クーラーは集中式になり、グローブ形ベンチレーターとの組み合わせはまた国鉄と共通になってしまいました。個人的には個性のある集約分散型の方が好きだったのですが。
1975年度からは、701系についても冷房改造、制動方式の変更など、改造が行われることになりました。ローズレッド・ウォームグレーの車体にステンレスドアの姿は、801系と共通でしたがとても似合っていた感じでした。
4連4本、6連2本が登場した後は、レモンイエロー1色になってしまい残念でした。どうやら「黄色い電車=冷房車」のイメージがあったためとのことでしたが…(それから何年も101系の非冷房車には何度もがっかりさせられましたが)
101系集約分散型冷房車 クハ1179 1983年8月7日 高麗駅

701系冷房改造車 クハ1750他 1976年4月15日 所沢駅

ところで、かつて休日の朝に、飯能⇔吾野間の1往復がありました。
4両編成で、101系が使用されることが多かったですが、551系が入ったり、まだ冷房改造されていない701系が入ったり、中には451形の2連×2が入ったり…
どちらかと言うとあまり変化の無い秩父線の中で面白い存在でした。
通勤冷房車。関東では京王5000系が最初でした。
西武101系は確か171から6本が最初でしたね。
冷房車出始めの頃は101系が来るとまず屋根上
を見てから乗り込む習慣が付きました。冷房車
は有り難かったです。池袋から丸の内線乗り換
えでしたが、当時トンネル内冷房というのを
やっていました。池袋~茗荷谷が最初だったと
思います。
夏場丸の内線に乗ると、「窓を開けましょう」と
アナウスしていたのが懐かしいです。
冷房車が少なかった頃、やってくる姿を見て『ゴ~~』という音と屋根上から出てくる水には大感激でした。
地下鉄にはトンネル冷房とか変な理論がありましたね。特に国鉄103系が抵抗器の熱を放熱し熱風をさらしていたのには… 床下の電線が熱で燻製状態で劣化したなんて聞いたことがありました。当時の営団の車両は冷房は無かったものの、やや快適に感じました。
川越線の103-3000系、簡易冷房改造されたものの故障が多く、せっかく来ても冷房が効かないのには何度も泣かされました。
飯能発吾野行きってあったのですね。今も吾野発飯能行きがあったような気がします。正確には吾野までは池袋線ですね。
101系試作冷房車の後、6連ができた時、ハイフンナンバーには驚きました。どんな番号を付けるのかと思っていましたが… その後基本的には101系は冷房車しか無かった新宿線、701改含め黄色い電車は皆冷房車で安心できました。池袋線の非冷房101系には何度もガッカリさせられ、見送って次の赤電に乗ったり(*^-^*)
吾野発着の電車、今でも朝一番の始発と飯能発最終の一往復が定期であり、他に季節臨(遠足対応)で平日の朝、飯能→吾野(復路は回送)があります。