1980年3月17日のダイヤ改正はかなり大掛かりなものでした。
優等列車の種別も、これまでの「急行」「準急」に合わせて
「快速急行」「快速」「通勤急行」「通勤準急」が誕生し、この為に
従来の小型の種別札から大型のものとなりました。
車両面でも、N101系が大量に製造され、車両の置き換えが激しくなって
きました。
ダイヤ改正直前には、東急車輌で落成した 245F~253F が小手指車両
管理所に留置されていましたが、竣工日(4月1日付)の為に使用できず
暫く休車状態だった501系がダイヤ改正に合わせて急遽出動になったのには
驚いたものでした。
秩父線の不定期列車の運転再開、球場臨、改正による車両所要増などだった
のでしょう。
1980年3月30日 高麗駅 526-1526-1525-525+514-1514-1513-513
ダイヤ改正前には、大型の種別札の準備の為に、乗務員室境ドア裏に
この種別札受けが取付けられていましたが、確か廃車予定だった
501系には付けられていませんでした。
もう一つの大きな変化、それは 新宿線系統⇔池袋線系統 で大幅な
車両の入れ替えもありました。
それまで、701系グループの冷房改造車は池袋線配属でしたが、これが
すべて新宿線に移動、新宿線にあった101系はすべて池袋線へと
大移動だったようです。101系だけでは両数が合わないためか、551・
601系が池袋線に移り、一部の451-1411形も池袋線に移るなど、すれ違う
車両にも驚きました。
そんな大きな改正も、4月に入ると5編成のN101系が稼動できたので、
落ち着きも感じられました。
まあそれと引き換えに、残念ながら501系は廃車になってしまいましたが。
1981年5月19日 小手指車両管理所
こちらは廃車から既に1年以上経過していますが、譲渡先を待っている
状態でした。左からサハ1514、1513、1512、クハ1446-クモハ465
1981年7月16日 小手指車両管理所
その約2箇月後、サハ1512 が解体されてしまいました。
1982年8月25日 小手指車両管理所
こちらは更に約1年後ですが、左から
クモハ513、クハ1613、クハ1607、クモハ465、クハ1609(全て廃車)
と、大量の赤電が、車庫の隅を埋め、まるで赤電最盛期のようでした。
優等列車の種別も、これまでの「急行」「準急」に合わせて
「快速急行」「快速」「通勤急行」「通勤準急」が誕生し、この為に
従来の小型の種別札から大型のものとなりました。
車両面でも、N101系が大量に製造され、車両の置き換えが激しくなって
きました。
ダイヤ改正直前には、東急車輌で落成した 245F~253F が小手指車両
管理所に留置されていましたが、竣工日(4月1日付)の為に使用できず
暫く休車状態だった501系がダイヤ改正に合わせて急遽出動になったのには
驚いたものでした。
秩父線の不定期列車の運転再開、球場臨、改正による車両所要増などだった
のでしょう。
1980年3月30日 高麗駅 526-1526-1525-525+514-1514-1513-513
ダイヤ改正前には、大型の種別札の準備の為に、乗務員室境ドア裏に
この種別札受けが取付けられていましたが、確か廃車予定だった
501系には付けられていませんでした。
もう一つの大きな変化、それは 新宿線系統⇔池袋線系統 で大幅な
車両の入れ替えもありました。
それまで、701系グループの冷房改造車は池袋線配属でしたが、これが
すべて新宿線に移動、新宿線にあった101系はすべて池袋線へと
大移動だったようです。101系だけでは両数が合わないためか、551・
601系が池袋線に移り、一部の451-1411形も池袋線に移るなど、すれ違う
車両にも驚きました。
そんな大きな改正も、4月に入ると5編成のN101系が稼動できたので、
落ち着きも感じられました。
まあそれと引き換えに、残念ながら501系は廃車になってしまいましたが。
1981年5月19日 小手指車両管理所
こちらは廃車から既に1年以上経過していますが、譲渡先を待っている
状態でした。左からサハ1514、1513、1512、クハ1446-クモハ465
1981年7月16日 小手指車両管理所
その約2箇月後、サハ1512 が解体されてしまいました。
1982年8月25日 小手指車両管理所
こちらは更に約1年後ですが、左から
クモハ513、クハ1613、クハ1607、クモハ465、クハ1609(全て廃車)
と、大量の赤電が、車庫の隅を埋め、まるで赤電最盛期のようでした。
休車明けとは言え501系8連、塗装も綺麗な状態で素晴らしい
ですね。525Fはサハも揃った編成美の初期型ですが、初めて
練馬で見た新製時の523Fの美しさは未だに忘れられません。
513Fは改造エアサス台車のソフトな乗り心地が好ましかった
電車でした。
高麗駅を出発する急行は西武秩父発でしょうか。懐かしさ一杯
です。この当時は自分は既に沿線を離れていましたが、池袋線
民でしたから特に20m501系は尤も馴染み深い車両でした。
お写真廃車のサハ1511群の中に1511が居ないのはこの時期
既に511・512共々流山に譲渡されていたのでしょうか。
最後の小手指飯能側の廃車群のお写真、貴重ですね。この中の
一両でも残して置けたら素晴らしかったのですが・・。
休車状態からの一瞬の復活だった501系、やはり車両運用の
都合で借り出されたのでしょうか?
それとも引退セレモニーなど無かった当時、最後のはなむけ
だったのでしょうか? 秩父線を走る501系には、大きな
種別札が似合いました。わずか10日間くらいでしたが…
ヘッドマークもとても似合っていました。
501系と701系が組成されることもありましたが、この時の
501系のみの8連はやはり思い出深いものとなりました。
511Fはあれからすぐに流山に行きましたが、サハ1512は
3両の為にあぶれてしまいました。やはり半鋼製は人気が
無かったようでした。
やはりクモハ501形は保存して欲しかったものです。