モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

1980年3月ダイヤ改正で

2017-01-18 19:38:00 | 西武電車
1980年3月17日のダイヤ改正はかなり大掛かりなものでした。
優等列車の種別も、これまでの「急行」「準急」に合わせて
「快速急行」「快速」「通勤急行」「通勤準急」が誕生し、この為に
従来の小型の種別札から大型のものとなりました。

車両面でも、N101系が大量に製造され、車両の置き換えが激しくなって
きました。
ダイヤ改正直前には、東急車輌で落成した 245F~253F が小手指車両
管理所に留置されていましたが、竣工日(4月1日付)の為に使用できず
暫く休車状態だった501系がダイヤ改正に合わせて急遽出動になったのには
驚いたものでした。
秩父線の不定期列車の運転再開、球場臨、改正による車両所要増などだった
のでしょう。

1980年3月30日 高麗駅 526-1526-1525-525+514-1514-1513-513










ダイヤ改正前には、大型の種別札の準備の為に、乗務員室境ドア裏に
この種別札受けが取付けられていましたが、確か廃車予定だった
501系には付けられていませんでした。

もう一つの大きな変化、それは 新宿線系統⇔池袋線系統 で大幅な
車両の入れ替えもありました。
それまで、701系グループの冷房改造車は池袋線配属でしたが、これが
すべて新宿線に移動、新宿線にあった101系はすべて池袋線へと
大移動だったようです。101系だけでは両数が合わないためか、551・
601系が池袋線に移り、一部の451-1411形も池袋線に移るなど、すれ違う
車両にも驚きました。

そんな大きな改正も、4月に入ると5編成のN101系が稼動できたので、
落ち着きも感じられました。
まあそれと引き換えに、残念ながら501系は廃車になってしまいましたが。

1981年5月19日 小手指車両管理所


こちらは廃車から既に1年以上経過していますが、譲渡先を待っている
状態でした。左からサハ1514、1513、1512、クハ1446-クモハ465

1981年7月16日 小手指車両管理所


その約2箇月後、サハ1512 が解体されてしまいました。

1982年8月25日 小手指車両管理所


こちらは更に約1年後ですが、左から
クモハ513、クハ1613、クハ1607、クモハ465、クハ1609(全て廃車)
と、大量の赤電が、車庫の隅を埋め、まるで赤電最盛期のようでした。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (団塊鉄ちゃん)
2017-01-19 00:28:01
お邪魔いたします。
休車明けとは言え501系8連、塗装も綺麗な状態で素晴らしい
ですね。525Fはサハも揃った編成美の初期型ですが、初めて
練馬で見た新製時の523Fの美しさは未だに忘れられません。
513Fは改造エアサス台車のソフトな乗り心地が好ましかった
電車でした。
高麗駅を出発する急行は西武秩父発でしょうか。懐かしさ一杯
です。この当時は自分は既に沿線を離れていましたが、池袋線
民でしたから特に20m501系は尤も馴染み深い車両でした。
お写真廃車のサハ1511群の中に1511が居ないのはこの時期
既に511・512共々流山に譲渡されていたのでしょうか。
最後の小手指飯能側の廃車群のお写真、貴重ですね。この中の
一両でも残して置けたら素晴らしかったのですが・・。
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Unknown (モハ1005-モハ1006-クハ2003)
2017-01-19 17:59:42
団塊鉄ちゃん様、ありがとうございます。
休車状態からの一瞬の復活だった501系、やはり車両運用の
都合で借り出されたのでしょうか?
それとも引退セレモニーなど無かった当時、最後のはなむけ
だったのでしょうか? 秩父線を走る501系には、大きな
種別札が似合いました。わずか10日間くらいでしたが…
ヘッドマークもとても似合っていました。
501系と701系が組成されることもありましたが、この時の
501系のみの8連はやはり思い出深いものとなりました。
511Fはあれからすぐに流山に行きましたが、サハ1512は
3両の為にあぶれてしまいました。やはり半鋼製は人気が
無かったようでした。
やはりクモハ501形は保存して欲しかったものです。
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