■仕事が一段落したのでいつものように本屋で立ち読みを楽しむ。
「二ュートン」の統計・確率のシリーズをひらいているとつい引き込まれた。
よく見聞きする「誕生日問題」、、クラスの中に同じ誕生日の人が何人いるかという問題だ。1年は365日あるから同じ誕生日の人は少ないと思いがちだが、これが驚くほど多い数なのだ。学生数23人のクラスで1組できる確率が50%。50人クラスでなんと97%なのだ。つまりクラスには1組くらい誕生日がおなじひとがいるということ。
「選挙のパラドックス」というのが面白い。これは何人かの候補者のなかから1人の代表者を選ぶ場合に多数決で最良と思う人を選ぶときと、最悪の人を選ぶときに同じ人が選ばれる場合があるという奇妙な現象だ。候補者のなかに優先順位があってそれが各選挙人それぞれ違う場合に起る。じゃんけんのグーチョキパーのように3人が各自違う手を出すと誰も勝てないというような三すくみ状態に似た状況で起りうるのだ。
最良の候補を選ぼうと多数決で決めたのに、その候補者は皆が最悪と思う候補者であったという結果が起りうるパラドックスを内包している。ヒトラーを生んだドイツの民主主義ももしかするとその結果かもしれない、などと言うことができる。
選挙のとき、どのような候補者が有利か?結論を言えば3番目が有利。本命と対立候補、それに続くダークホース。このダークホースが俄然有利に働くのだ。特に始めの段階で体勢が本命に傾きかけた時点で票はこちらに流れる傾向があるようだ。いわゆる浮動票というあれもこれかな?
サルサグループ「パッション」メンバーの重鎮Y先生がこの「パッション」という名前が気に入らない、という。こんなのみんなきらいだろうぅー、なんていっているが皆で決めたのなら仕方がないだろうと思う。しかし、これも選挙パラドックスの結果かもしれないと思うとありうる話だ。
Y先生にはどうもいくつか腹案があるらしいが、しきりと僕をおだててかっこいい名前をださせようとする。どうも、彼は勘違いをしているようだ。かっこいい名前だとすぐに決まると思っているふしがある。名前のよしあしと名前が決まるかどうか、とは何の因果関係もないのだ。相関関係だって怪しいものだと思う。名前が決まるかどうかはただ名付け親(ゴッドファーザー)の統治能力の有無の問題なのだ。
Y先生の問題はその発想力ではなくガバナビリティーの欠如に起因しているとみている。それが証拠に僕が提案した自信作LosChicosを言下に拒否するなど、、、拒否権だけあるのかな?明らかに決定権をもっているかのように振舞っているにもかかわらず、1人では決められないように見えるからだ。将来の彼の病院経営にも暗雲がただよってくるぞ、、。
ところで、パッションというネーミング、Killing me softlyのspanish version 最後のフレーズにでてくるla pasionはいい感じだ。ラ・パシォン、、、、いいでねぇの!
「二ュートン」の統計・確率のシリーズをひらいているとつい引き込まれた。
よく見聞きする「誕生日問題」、、クラスの中に同じ誕生日の人が何人いるかという問題だ。1年は365日あるから同じ誕生日の人は少ないと思いがちだが、これが驚くほど多い数なのだ。学生数23人のクラスで1組できる確率が50%。50人クラスでなんと97%なのだ。つまりクラスには1組くらい誕生日がおなじひとがいるということ。
「選挙のパラドックス」というのが面白い。これは何人かの候補者のなかから1人の代表者を選ぶ場合に多数決で最良と思う人を選ぶときと、最悪の人を選ぶときに同じ人が選ばれる場合があるという奇妙な現象だ。候補者のなかに優先順位があってそれが各選挙人それぞれ違う場合に起る。じゃんけんのグーチョキパーのように3人が各自違う手を出すと誰も勝てないというような三すくみ状態に似た状況で起りうるのだ。
最良の候補を選ぼうと多数決で決めたのに、その候補者は皆が最悪と思う候補者であったという結果が起りうるパラドックスを内包している。ヒトラーを生んだドイツの民主主義ももしかするとその結果かもしれない、などと言うことができる。
選挙のとき、どのような候補者が有利か?結論を言えば3番目が有利。本命と対立候補、それに続くダークホース。このダークホースが俄然有利に働くのだ。特に始めの段階で体勢が本命に傾きかけた時点で票はこちらに流れる傾向があるようだ。いわゆる浮動票というあれもこれかな?
サルサグループ「パッション」メンバーの重鎮Y先生がこの「パッション」という名前が気に入らない、という。こんなのみんなきらいだろうぅー、なんていっているが皆で決めたのなら仕方がないだろうと思う。しかし、これも選挙パラドックスの結果かもしれないと思うとありうる話だ。
Y先生にはどうもいくつか腹案があるらしいが、しきりと僕をおだててかっこいい名前をださせようとする。どうも、彼は勘違いをしているようだ。かっこいい名前だとすぐに決まると思っているふしがある。名前のよしあしと名前が決まるかどうか、とは何の因果関係もないのだ。相関関係だって怪しいものだと思う。名前が決まるかどうかはただ名付け親(ゴッドファーザー)の統治能力の有無の問題なのだ。
Y先生の問題はその発想力ではなくガバナビリティーの欠如に起因しているとみている。それが証拠に僕が提案した自信作LosChicosを言下に拒否するなど、、、拒否権だけあるのかな?明らかに決定権をもっているかのように振舞っているにもかかわらず、1人では決められないように見えるからだ。将来の彼の病院経営にも暗雲がただよってくるぞ、、。
ところで、パッションというネーミング、Killing me softlyのspanish version 最後のフレーズにでてくるla pasionはいい感じだ。ラ・パシォン、、、、いいでねぇの!