■前回は自分を抑えて現状維持を合理化する苦しい判断をした。しかし、やはり気持ちを整理し信じる方向で全面突破するしかないと思うようになった。いま何故スペイン語なんだ、それどころじゃあないんだろ、との内なる声に、だからこそ片付けて置かなくては前に進めないじゃないか、との声が重なる。
前回のスペイン語研究会のあと、O氏に退会の意思を伝えた。彼は「わかった」と一言。予期していたようにも見えた。そして翌日の昼、会計係Yちゃんから「どうしてやめたの。何年も一緒にやってきたのに。どうして相談してくれなかったの」となじられた。僕は昔からの仲間には僕が自分の考えでグループ作ることを知られたくなかった。僕と立場の似ている彼女に対しては特にそうだ。O氏からああせいこうせいと言われることにうんざりしたから辞めるんだ、と言えば僕以上に悩んでいるだろうから同情してくれるだろうが、不満だから同調者を募って別グループを作る準備をしていると思われると反対するだろうし、感情的な対立になることを怖れて妨害にまわることも考えられる。だから誤解を受けないようにプロジェクトが軌道にのるまでは秘密にしておきたかった。しかし、新しい講師が決まった以上もう隠す必要もない。
僕はO氏やDrIとの間の人間関係とか、学習方法論のちがいで袂を分かつ訳ではない。この会のシステムが私には間違っていてこれを僕は直すことができないと思うからから別行動をすることを決めたのだ。そもそも始めから、僕は求められればこの会に足りない中級クラスを補うことができるように準備してきたのに、、どうして相談してくれなかったの!とはこちらの言いたいせりふだ。
この会に足りないのは「ルール」だ。大事なことはメンバーの意見を聞いて決めるという形がない。問題があっても提案して皆が議論するという「民主主義」がない。代表者がどう決まっているのかもわからないし、お金を預かる会計担当者の権限すら明確でない。人の寄せ集まりの域をでない。
そこで新しいグループ「仮称・スペイン語で話す会」の会則をまず作った。語学は外国でのコミュニケーションツールとして会話が重要だと考えるVicroria先生との2人で会話練習に興味ある人のための勉強会を始めることにした。
まず、運営方式として会計、連絡、会場確保など負担の多いボランティア役をなくした。会場確保は僕が一切負担することで参加受講料を特別にタダにしてもらうこと。参加者は1回1000円の受講料を直接講師に都度支払うこと。そして通常の連絡は各自がFBグループ「スペイン語で話そう」にアクセスして行うこと。これで誰もああせいこうせいとこうるさく言われてストレスをためることもない。
「話す会」初日の説明会でこのことを損益分岐点を書いて説明した。「研究会」方式では一定人数の参加者を維持できなければ損失を生じ、その損失をカバーするために受講料前払い制にして都合で不参加になった場合も払戻ししない、つまり参加者の負担となる。ところが「話す会」では、たとえ参加者0でも主催する講師に損は発生しない。参加予定変更のが危険負担は講師が負う。よって、プライベートにちかいクラスが可能で、参加した時だけ受講料を払えばよいから多忙で時間の不規則な人が利用しやすくなる。この点がまさに「話す会」の目標とするところである。
昨年世界一周を終えた塾経営者のTさんにメンバーになってもらったのもこの運営方式を見てもらって月に1度来れるかどうか分からないほど多忙でも参加してくれるかどうかを考えてもらいたかった。急な予定変更があって初日に偶然急に参加できることになった彼女にもこのシステムは好評みたいだ。
海外青年協力隊として2年間ボリビアでスペイン語を使っていたS君も多忙で近頃ずっと来れなかったが初回には顔を見せてくれた。一方「研究会」のDr.Iは誰もが認めるスペイン語の使い手であるが、このご高齢に至るまで20年間のご努力には尋常でないものであったろうと思われる。この2人を比べるとき、つまり流麗で正確な翻訳力の20年と自然な日常会話力の2年のどちらの途を現実的に我々は選ぶだろうか?S君にメンバーになってもらったのもその趣旨だという説明をした。
TさんもS君とも当分の間顔をあわせることはないだろうけど、時間が出来た時にはいつでも気楽に参加できることを納得してもらえたと思う。そのために学習内容は毎回独立し完結するテーマで予習の必要がないものがいい。
ミリャンが日本語に慣れる意味もあって遊びに行きたいと言ってくれた。彼女は教えるのは苦手だが歌ったりおしゃべりすることで参加してもらえるとクラスがとても楽しくなる。
翌日、会計係Yちゃんから電話があり、会って話したいということで茜屋に行った。会社の組織変更で過酷な労働環境に甘んじている彼女はスペイン語どころではなく、このところ来る機会も少なくやつれ果てた状態に見えたので皆が心配していた。でもこの日はこの店のベトナムコーヒーを一度飲みたかったそうでとても気分よさそうに見えた。
何が起こっているか何もわからないという彼女に事の経緯を説明するうちに双方の微妙なコミュニケーションギャップにも気づき、見方のちがいなどにも理解が得られた。
「研究会」の企業経営型ではどうしても損益分岐点を維持するため人集めをして大教室型になる傾向がある。昔は先生が初級を教え、上級の読解班は後半初級に合流する形だったのにいつの間にか逆になってしまった。実は古参組の彼女は今の読解には全くついて行けず初級で疎外感を感じていたと聞いて意外だった。そういえば会が広告を出して入会者が増えたあたりから妙な感じになり始めたんじゃあないだろうか。今、余裕があって何か企画を考えようみたいな話もあるけど彼女は初級の人も読解には敷居が高く会員維持には不安を感じているようだった。こんな話はクラスでたまにはした方がいいんだがそんな時間はとってない。
聞いてみると現状では彼女がスペイン語の勉強をするには新しい「話す会」の方がぴったりだ。「私こんど見に行っていい?」「いいけどメンバーになって次も来るには皆の承諾がいる。まず、レッスンは少人数のほうがいいし、無理に拡大する必要がないからこの会は募集はしない。来週7/5は「ちもり体育館」会議室に1900-2100で予約をいれているよ」「久しぶりによく話したね、、、ところで、クマさんの滞納受講料だけど、クマさんは何も決まってないこんな会ではまともに請求することさえできないから支払わないということは簡単、っていうけど、わたしの顔で払ってよ!」
くぎをさされてしまった。しまった「話す会」では無料見学というのはない、ということを彼女に言うのを忘れた!