■「スペイン語を話そう」会は順調に進み始めた。「研究会」のほうもFBの映像をみると新しい先生を迎えてうまく進んでいるようだ。「話そう会」のメンバーもみえる。よかった。全く別のシステムだが、喧嘩別れしたわけではなく相補えるように考えたのだから出られる人は両方に出て欲しい、と言いながら自分は「研究会」をやめたままになっているのはまずいかな。くまさんやめるならわたしもやめると言い出す人が出てくるともっと困る。
「研究会」のやり方が「話そう会」と同じように会話中心で皆が参加できるようなものになるのなら反対する理由はないのだから「研究会」に戻ろう。そのほうが「話そう会」をより充実させることができると考えた。節操のない男だと思われるだろうがどう取られようとそれは気にしない。
そこで、K女史と会計のYさんに電話して戻りたいと伝えた。2人とも喜んでくれると思ったのだがどうもそれほどではない。なにか引っかかるところがある。しばらくして大変な思い違いをしていたことに気づいた。僕は一旦やめたといった以上はもう戻れないのだ。
やめた理由はボランティアでああせいこうせいといわれて会の世話をすることがいやになり、この会の非民主的運営が気に入らなかったからだ。そこで自分は外で不平等なボランティアがない、民主的な運営の新しい団体を作っておきながら、古巣に戻ってボランティアはいやだ、ここは改革すべきだなどとは言えない。僕にとってはいやなことでもほかの人はそう思わないかもしれないのだ。いくら形の上で新しいメンバーだからと言っても彼らにとっては僕は昔から一緒にやってきたメンバーであることに変わりないのだから、戻る以上昔どおりやってくれといわれて断るのでは話が通らない。
彼らの立場にたつと、やり方が間違っているといって飛び出したものが目的を達して戻ってきてお前もやり方を直せと言われる筋合いはない。仮に間違いと解っていても郷にいれば郷に従えだ。ということになるだろう。運営どうこうは関係ない、好きなことができればいい、と考えるメンバーは多いだろうしその中で不協和音は避けられない。
僕は日本社会にいることを忘れていた。「どんどん新しいことやってよ、失敗したらいつでも戻ってきていいから」という社会と「どうして新しいことなどするの、一旦出たらもう戻れないよ」という世界観の違いだ。利害が一致すれば多少の意見の違いは問題にならない社会と、利害にかかわらず意見の一致にこだわる社会と、、。どちらが正しいとかでなく、どちらがしんどいか、という問題。一度はそのために日本を飛び出したのに、、。
今回はドロップアウトしたVictoria先生を見かねて助け舟を出したつもりが岸にもどれなくなってしまった感じだ。でも感謝されたし民主的で有効なシステムが出来たのだから今は誰に何の不利益もない。これで整理がついたとしよう。