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この道を ヤマユリの写真撮りながら歩いていたら
前から歩いて来る人が 鈴を鳴らしながら歩いて来られた。
「エッ!・・・・」
まさかねぇ
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その道の脇にこんな看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c8/0c8601bc0866b59b22d661384ec619bd.jpg)
硫黄やまみち
この道は 明治 大正時代には往来のはげしい硫黄山道
とよばれておりました。
吾妻山の桶沼付近(標高1.622m)での硫黄採掘の歴史は古く
享保6年(西暦1.721年)土湯村七左衛門が採掘したことにはじまり
明治26年(1.893年)吾妻山大爆発により、多くの硫黄が噴出したのを
大阪の長者大井七平が、本格的に採掘し、近郷の人々は
採取と搬出に働きました。
背負い人力で2日に3俵(1俵は64kg)運んだと伝えられています。
次第に道も改良され、搬出のためには荷車や馬車が用いられるようになって
大正時代には全盛をみました。
毎日夜半過ぎると何頭かの荷馬車がこの道を通り
往復7里あまり(約30km)の道を15時間を要し
1台に13俵を積んで運んだのです。
一台の運び賃は、大正後期で7円50銭(当時米1俵約13円であったので)
経済変動の激しい時代の安定した収入の源でありました。
昭和時代になってからは、硫黄が次第に少なくなり
昭和8年(1.933年)には閉山となり、この道も廃道化してまいりました。
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2004年10月16日撮影 の桶沼
このあたりで 硫黄が取れていたんだね
今は コバルトブルーのとってもきれいな沼でした。
ヤマユリの他にも あざみやトラノオも咲いていました。
マウスオンしてみてね
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花の写真をとって・・・
ふっと先の方に目を向けたら・・
「ギョエ~~~~~
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