今日は、息子が大学に合格したので、お祝いにどんなものを食べたいか聞いたら、「一度、ケバブを食べてみたい。」と言うので、電車に乗って、メルボルンの反対側にあるコバーグという町のケバブレストランに行ってきました。娘が少し前に彼氏とそのレストランに行って、とても安くて美味しかったというので、息子もそこの料理が食べたくなったようです。
ケバブ料理は中東の肉料理で、味付けした肉を回転させて焼いたものをそぎ落として食べます。ヨーグルトを薄く焼いたパンに載せて一緒に食べました。味の方は、結構美味しかったですが、少し脂っこいという印象でした。やはり、どんなに美味しい物でも、日本で育った僕には日本の食べ物に勝る食べ物はありません。というか、日本食以外に、それ程美味しいと思える食べ物に出会ったことは、未だかつてありません。
残念だと思ったことは、何とそのレストランでは、水はボトルの水を買わなければならないのです。日本だったら、水はタダですよね。幸い、僕らは水筒を持参して行ったので、水を買わなくても良かったですが、たかが水に3百円も払いたくないですよね。レストランによっては、お茶や水はタダのところが多いですが、このお店の様に、ボトルの水を売る所もあるのです。
さて、レストランでお腹が一杯になった後、息子と娘が、次は古着屋に行きたいというので、一時間程、古着店で古着を物色していました。結局、娘が一着、買っただけでしたが、僕は欲しい物はなかったので、店の前にあった椅子に座って持ってきた本を読んでいました。
驚いたのが、その大きな古着屋には、多くの20代、30代の若い女性で賑わっていたことです。こちらの人は、古着屋に行くことはあまり躊躇しません。なので、古着屋は新しい服を売る店よりも多くある程です。兎に角、古着屋は、NPOつまり、社会福祉の団体が経営しているところが多く、人々が要らなくなった服や雑貨を店に持ってくるので、仕入れ値がタダで、そこで働く人もボランティアが多くて人件費もタダ。なので、商売は繫盛しているようです。
さて、僕が図書館で借りて読んでいた本の題名は Year of no clatter で、筆者が、ゴミ屋敷の様になってしまった自宅を綺麗にするという実話、ノンフィクションです。clatterを英和辞典で調べると喧騒という意味が出てきますが、ガラクタが一番しっくりくるかも知れません。
僕達の家の中には物が増える傾向にあり、使わない物は捨てていかないと物が自然に増えてしまうのです。物が捨てられない人は家の中が物で一杯になり、床も見えない状態になると、部屋が使えなくなってしますよね。
実は、僕の妻が物を捨てられない人で、、、大学時代に使ったノートや、3歳ごろに使っていた父親に作ってもらった遊具なども、ほんの4、5年前まで、倉庫に取っておいてあったぐらいです。今住んでいる家には4つの寝室があるのですが、その内の一つはキャンプ用品やスーツケース、雑貨類の物置になってしまっています。本当はゲストルームとして使いたいのですが。僕が不要な物を捨てようとすると、「私のものは勝手に捨てないで。」と怒るので、なかなか物が減りません。
服や本も沢山あって、困ります。着なくなった服や読まない本や雑誌は捨てた方がスッキリすると思うのです。彼女の母親、つまり、僕の義理の母が、捨てられない性格だったので、遺伝しているのかもしれません。
6年程前、義理の母が亡くなって、家を売りに出す前に、家の中にあった物を捨てなければいけなかったのですが、、、60年ほど住んでおられた、その家の中の物は、それはそれは、大変な量で、高齢になって病気になると、自分では片づけられなくなりますから、ほぼ全ては僕が処分しなければなりませんでした。幸い服などは古着屋に持って行けば引き取ってくれましたし、使えそうな家具類も多くは引き取ってもらえましたが、例えば台所からは、ビン詰めの容器が50個ほど出てきましたし、寝室には洋服をかけるハンガーは200本以上ありました。
実は僕の娘にも捨てられない遺伝子があるようで、彼女の部屋は服が、100着以上はあり、床には服が散乱していることが多いのです。流石に、お客さんが来る前には綺麗に片づけますが、、。
では、明日も、このブログでお会いしましょう。