ある場所で見つけた言葉。
気になったのは、後半の部分。
「満足を知れば、それが幸福」
幸福の定義なんて考えたことないが、気持ち的に「満足!」となれば、その時、幸せな気分に1時的に成れるのは違いない。となると、幸せというのは、「永くは続かない」ものなんだろうか?とも思える。
「幸せ」と印字された回数券を手に、日々、1枚1枚切り刻んで使い切って行き、しかも有効期限は、その1日限りで、使用日が限定され、必ず強制的に回収される、そんなものなんだろうか?
今、これを書きながら、ふと考えてしまうのだが、私が求めているのは、1時的な物ではなく、「恒常的な幸福」だと思う。それはきっと誰しもが想い願う話ではないか、と思う。
自分の生き方が今までそうだった所為で余計に、そう考えてしまうのかも知れないが、「恒常性」が特に、「幸せ」を始めとする様な、「良い事が起こる」という事に対しては、望まれているんじゃないか、と思う。窮地を脱する為の策は、アレコレ取られてはいるものの、やはりそれはどこまで行っても「一過性」にしか過ぎない。持続性はそこにはない。
恒常的な幸福ってありえるのか、と考えてしまうが、所詮、絵に描いた餅で、実現は薄い。そして厄介と言えるのだが、あまり幸福につかりすぎたり、手に入れ過ぎたりすると、「幸福を処理する力」がなくなるみたいで、不幸になる様だ。
幸福は、どうも解らないが、例えて言うなら、「食べ物」と同じで、口に入れたからには、噛んで飲み込んで消化し「吸収」しなくてはならない。つまりは、ただ、口にほうり込めば良い訳ではなく、また、食えば良いって物でもない様だ。消化不良を起こしてしまえば、吸収は出来ないし、出来ても僅かでしかない。
それを考えると、「回数券方式」は、有効打なのかなとも思う。しかしそれではどうも物足らない気がして…。
結局、何時もの如く、答えは出ず、ダラダラと語ってしまったが、そんな所である。もどかしい話ではあるが…。
気になったのは、後半の部分。
「満足を知れば、それが幸福」
幸福の定義なんて考えたことないが、気持ち的に「満足!」となれば、その時、幸せな気分に1時的に成れるのは違いない。となると、幸せというのは、「永くは続かない」ものなんだろうか?とも思える。
「幸せ」と印字された回数券を手に、日々、1枚1枚切り刻んで使い切って行き、しかも有効期限は、その1日限りで、使用日が限定され、必ず強制的に回収される、そんなものなんだろうか?
今、これを書きながら、ふと考えてしまうのだが、私が求めているのは、1時的な物ではなく、「恒常的な幸福」だと思う。それはきっと誰しもが想い願う話ではないか、と思う。
自分の生き方が今までそうだった所為で余計に、そう考えてしまうのかも知れないが、「恒常性」が特に、「幸せ」を始めとする様な、「良い事が起こる」という事に対しては、望まれているんじゃないか、と思う。窮地を脱する為の策は、アレコレ取られてはいるものの、やはりそれはどこまで行っても「一過性」にしか過ぎない。持続性はそこにはない。
恒常的な幸福ってありえるのか、と考えてしまうが、所詮、絵に描いた餅で、実現は薄い。そして厄介と言えるのだが、あまり幸福につかりすぎたり、手に入れ過ぎたりすると、「幸福を処理する力」がなくなるみたいで、不幸になる様だ。
幸福は、どうも解らないが、例えて言うなら、「食べ物」と同じで、口に入れたからには、噛んで飲み込んで消化し「吸収」しなくてはならない。つまりは、ただ、口にほうり込めば良い訳ではなく、また、食えば良いって物でもない様だ。消化不良を起こしてしまえば、吸収は出来ないし、出来ても僅かでしかない。
それを考えると、「回数券方式」は、有効打なのかなとも思う。しかしそれではどうも物足らない気がして…。
結局、何時もの如く、答えは出ず、ダラダラと語ってしまったが、そんな所である。もどかしい話ではあるが…。