いい物語であると思う。
普遍的世界であると思う。
でも・・・私向きではありません。
というか、私、読むには年をとりすぎました。
主人公の「まい」の父母より、西の魔女ことおばあさんの考えに近いです。
ですから、主人公の「まい」ちゃんが新鮮に感じられることがないのだ。
「まい」ちゃんは、日常生活に傷ついて、おばあさんのところで静養して、魔女修行をして日常生活に戻っていくわけです。
魔女修行といったって、いわば日常生活のなかでいかに周りと折り合いをつけるために「我慢」する修行のようなもの・・・自分のことは自分で決める・・・ということを学ぶものなのだが。
このことも、私には新鮮ではないわけで・・・そういう意味において、私向きではないということなのである。
現代というか近年の子供たち(大人もかな)は「繊細」である。ただし自分に対してだけ「繊細」だと思う。
他人に対しても「繊細」になろうとしたとき、「我慢」とか「覚悟」とか覚えるんではないだろうか。
そういう意味では、自分に対して少し鈍感になったほうがいいのではないだろうか。
思春期は自分に対してすごく敏感で繊細になる時期ではあるが、昔は自分の内面だけにかまっていられなかったから、鈍感にならざるを得なかったわけである・・・
というわけで、この物語は、少女の繊細さがキレイに描かれているものである、ということかな。
普遍的世界であると思う。
でも・・・私向きではありません。
というか、私、読むには年をとりすぎました。
主人公の「まい」の父母より、西の魔女ことおばあさんの考えに近いです。
ですから、主人公の「まい」ちゃんが新鮮に感じられることがないのだ。
「まい」ちゃんは、日常生活に傷ついて、おばあさんのところで静養して、魔女修行をして日常生活に戻っていくわけです。
魔女修行といったって、いわば日常生活のなかでいかに周りと折り合いをつけるために「我慢」する修行のようなもの・・・自分のことは自分で決める・・・ということを学ぶものなのだが。
このことも、私には新鮮ではないわけで・・・そういう意味において、私向きではないということなのである。
現代というか近年の子供たち(大人もかな)は「繊細」である。ただし自分に対してだけ「繊細」だと思う。
他人に対しても「繊細」になろうとしたとき、「我慢」とか「覚悟」とか覚えるんではないだろうか。
そういう意味では、自分に対して少し鈍感になったほうがいいのではないだろうか。
思春期は自分に対してすごく敏感で繊細になる時期ではあるが、昔は自分の内面だけにかまっていられなかったから、鈍感にならざるを得なかったわけである・・・
というわけで、この物語は、少女の繊細さがキレイに描かれているものである、ということかな。