1.傘がない/井上陽水 1972年7月発表
井上陽水を知ったのはこの曲である。
で、友人に聞かせたら(エアチェックしていた)笑われたのである。
確かに変な歌ではあったが、なんだか新しい形のような気がして「どうだ!!」と聞かせたのに笑われたのである。
で、自分でも変だと思っていたので「売れないかも」とほっておいたら、その後ヒットし「夢の中へ」で大スターになってしまった。
♪行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ♪
という、なんだか焦っている気持ちと、
♪傘がない♪という現実について、こんなに悩むのはスゴイと思った。
どうしても行かなければならないのなら雨にぬれていけばいいのに・・・
と思ったのは私だけだろうか?
2.カレーライス/遠藤賢司 1972年3月シングル発表
これもなんだか変な歌だなあ、と思った。
カレーライスをこう歌うか?!
とおもったし、この歌に出てくるカレーライスはなんだかおいしそうではなかった。
そもそも猫がカレーライスを食べるなんて、贅沢、だと思った。
さりげないようにでてくる
♪そしたら誰かが ぱっとお腹をきっちゃったって ふーん痛いだろうにね♪
という部分が、意味をこめているのか、それともただそう思っただけなのか、あるいはそんなことなど考えないほうがいいものなのか、よくわからなかった。
でも、よく歌っていた。それはコードが簡単だったから。
3.さらば青春/小椋佳 1971年3月発表
この歌の前奏 G-F#-G がカッコよかった。
以前にも書いたと思うが、小椋佳との出会いは高校1年の倫理社会の時間で、小椋佳のアルバムを視聴覚室で聞いて、感想を書くという、ところであった。
そのころは授業で聞く歌には単純に反感を持っていたのだが、そのときは反感半分興味半分だったような気がする。
その後、若い者が集まったときには必ずこの歌を歌ったような気がする。
でも、この歌詞についてはよくわからないところが多くて、なぜ「さらば青春」なのか、具体的にはよくわからない。感覚的なものなのだろうとおもうのだが・・・
4.教訓Ⅰ/加川良 1971年7月発表
加川良はよくわからない。
そして、この歌のように、いわゆる社会派、反戦歌、メッセージソング、というようなものには、あまり興味がなかったのである。
どうしてだったんだろう?
兎も角、こういう歌についてはなんだかついていけなかった。
今この歌を聴いて「国のためにに戦争なんか行かないぞ」と思う者はいないだろう、この歌を聞く前からそう思っているだろう。やっぱり時間は過ぎたのである。
5.キミかわいいね/RCサクセション 1972年7月発表
この歌を注意深く聴いたことがない。
好みの歌ではない。
RCサクセションは「僕の好きな先生」以外知らないのである。
今聞いても、そう力ははいらないのである。
6.家をつくるなら/加藤和彦 1973年3月シングル発表
確かナショナル住宅のコマーシャルソングで、うらやましい家であった。
そんな家を誰が建てるんだろう?
と思っていたら、その後、多くの家がこんな感じになっちゃいました。
なんだか「幸福」の具体版をみているようで、うらやましいという反面そんなものでいいんだろうか?なんて考えていたような気がする。
と思いつつも、いい歌、に区分していた。
こんなに「のほほん」と、小さな幸せを歌うというのも、なんだかスゴイようなきがしていたのである。
反戦歌などには興味を示さず、小さな幸せにあこがれる、という当時の若者としてはズイブン堕落した思想を持っていたのである。
というか、そのどちらも馬鹿にしていた、つまり「しらけていた」んだとおもう。
どうもわれわれの年代は、何もかもを団塊の世代にあらされて、どこに新しいものがあるんだろうか?と探す前から疲れてしらけていたのではないかと思うのである。
井上陽水を知ったのはこの曲である。
で、友人に聞かせたら(エアチェックしていた)笑われたのである。
確かに変な歌ではあったが、なんだか新しい形のような気がして「どうだ!!」と聞かせたのに笑われたのである。
で、自分でも変だと思っていたので「売れないかも」とほっておいたら、その後ヒットし「夢の中へ」で大スターになってしまった。
♪行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ♪
という、なんだか焦っている気持ちと、
♪傘がない♪という現実について、こんなに悩むのはスゴイと思った。
どうしても行かなければならないのなら雨にぬれていけばいいのに・・・
と思ったのは私だけだろうか?
2.カレーライス/遠藤賢司 1972年3月シングル発表
これもなんだか変な歌だなあ、と思った。
カレーライスをこう歌うか?!
とおもったし、この歌に出てくるカレーライスはなんだかおいしそうではなかった。
そもそも猫がカレーライスを食べるなんて、贅沢、だと思った。
さりげないようにでてくる
♪そしたら誰かが ぱっとお腹をきっちゃったって ふーん痛いだろうにね♪
という部分が、意味をこめているのか、それともただそう思っただけなのか、あるいはそんなことなど考えないほうがいいものなのか、よくわからなかった。
でも、よく歌っていた。それはコードが簡単だったから。
3.さらば青春/小椋佳 1971年3月発表
この歌の前奏 G-F#-G がカッコよかった。
以前にも書いたと思うが、小椋佳との出会いは高校1年の倫理社会の時間で、小椋佳のアルバムを視聴覚室で聞いて、感想を書くという、ところであった。
そのころは授業で聞く歌には単純に反感を持っていたのだが、そのときは反感半分興味半分だったような気がする。
その後、若い者が集まったときには必ずこの歌を歌ったような気がする。
でも、この歌詞についてはよくわからないところが多くて、なぜ「さらば青春」なのか、具体的にはよくわからない。感覚的なものなのだろうとおもうのだが・・・
4.教訓Ⅰ/加川良 1971年7月発表
加川良はよくわからない。
そして、この歌のように、いわゆる社会派、反戦歌、メッセージソング、というようなものには、あまり興味がなかったのである。
どうしてだったんだろう?
兎も角、こういう歌についてはなんだかついていけなかった。
今この歌を聴いて「国のためにに戦争なんか行かないぞ」と思う者はいないだろう、この歌を聞く前からそう思っているだろう。やっぱり時間は過ぎたのである。
5.キミかわいいね/RCサクセション 1972年7月発表
この歌を注意深く聴いたことがない。
好みの歌ではない。
RCサクセションは「僕の好きな先生」以外知らないのである。
今聞いても、そう力ははいらないのである。
6.家をつくるなら/加藤和彦 1973年3月シングル発表
確かナショナル住宅のコマーシャルソングで、うらやましい家であった。
そんな家を誰が建てるんだろう?
と思っていたら、その後、多くの家がこんな感じになっちゃいました。
なんだか「幸福」の具体版をみているようで、うらやましいという反面そんなものでいいんだろうか?なんて考えていたような気がする。
と思いつつも、いい歌、に区分していた。
こんなに「のほほん」と、小さな幸せを歌うというのも、なんだかスゴイようなきがしていたのである。
反戦歌などには興味を示さず、小さな幸せにあこがれる、という当時の若者としてはズイブン堕落した思想を持っていたのである。
というか、そのどちらも馬鹿にしていた、つまり「しらけていた」んだとおもう。
どうもわれわれの年代は、何もかもを団塊の世代にあらされて、どこに新しいものがあるんだろうか?と探す前から疲れてしらけていたのではないかと思うのである。